聖書において死は避けて通れない重いテーマです。しかし
「死についての適切な認識」によって人は素晴らしい喜びへと
導かれるのです。キリスト者は本来「生きながら死ぬ、と言う特技」
の持ち主である筈です。ですから人はどんなことがあろうと「自殺」
などと言う バカなことをする必要は全く無い筈です。(何故ならもう
死んでいるからです。)キリスト者にとって 死は日常茶飯事で
あるべきです。日々死ぬことによってキリスト者は その生を素晴らしく
生かし出すことが出来ます。死こそ神によって与えられた
完全な解放への門だからです。
物質的な死(普通の死)は霊的な死の絵です。
ですから普通の死を観察することによって「積極的とも言える」
死の素晴らしい意味を知ることが出来ます。
・普通 死は生の停止であると言われますが、実はそれ以上に
死は分離です。(また当然死は消滅でもありません。)生きた体が死ぬと
直ちにそこに「分解」と言う動的な現象が現れます。それは何かに
向かって動き出すのです。その何かとは 更に大きな、分別、
分別、切り離され、除去、隔絶です。
・人は他人の死に接する時、当然どうしようもなく「別れ」「死去」を感じます。
だから葬儀のことを「告別式」と呼ぶのです。人はその時、決定的な別離、
手を伸ばしても決して触れることの出来ない所へ彼は逝ってしまった、
と言う実感を禁じ得ません。だから死の本質はやはり 隔絶なのです。
・しかし分解は更に進みます。なぜなら死体は棺に入れられ(入棺の時
も別離はもっと実感されますが)死体は墓に行くからです。そこで
行われるのは埋葬です。既にこの世に離別した死体は更に埋葬され
なければならないのです。これは離別の上塗り、「その向こうの深い離別」
とも言えるでしょう。この時点で この世界と「この世に存在する総ての力」
でさえ彼との、決定的な深い分離を認めざるを得ないのです。
(サタン、邪霊はそれを認めています。しかし、人々はサタンのウソを
心から信じるのです。ウソであってもそれを信じるとき、そのウソの世界は
その人の中ではある種のリアリティを持つのです。)
・まだあります。更に人は墓から黄泉へと進み逝(ゆ)くのです。墓は
黄泉の入り口に過ぎません。人は正直 目の前にある石で作った墓を
前にして、彼は墓の中で眠っているとは感じません。そこで、感じるのは
彼との大きな大きな距離感です。なぜなら人は墓の遥かむこうに
黄泉と言う確かな存在を覚えざるを得ないからです。
・(実は黄泉の向こうには更に決定的に深刻な隔絶・第二の死がある
ことを聖書は告げるのですが、それは別の機会に回しましょう。)
彼は今、人間世界の諸々のきずな、総ての宗教的な自作や他作の
規則や規制、またこの世の力、時空世界、物質世界からさえ
遠く遠く離れ去ったのです。そこから、彼を呼び返す手段は
もはや絶対にあり得ないのです。
*
以上の描写の目的は、積極的な意味で、キリスト者が所有する
「キリストと共なる死」による解放、へと私達が導かれるためです。
キリストは私たち総てを包含し 肉体においてさえ、確実に絶対的に
死んだのです。それは神御自身が用意された既成事実です。ですから
既に死んでしまって墓の向こうに行ってしまった私達に 今さら影響を
及ぼすことが出来るものは何もありません。
なぜならあなたは今死んでおり、既に埋葬され済みであるからです。
(埋葬がバプテスマの真の意味であり、それ以後のクリスチャン生活は
バプテスマの実際を土台として初めて成立するのです。)
以上の事実は、「この事象世界に見られる普通の事実」の遥か上位に
ランクする神の「真理」です。その格差は文字通り天と地なのです。
あなたはどちらの事実を信じるのでしょうか。私たちが もしも この神が
達成された「既成事実」を 受け入れ信じるならば、そこにある動かざる
永遠の霊的な真理が あなたの時空にさえ降りて来て、いずれ あなたの
実感にも深い影響を及ぼすことを知るでしょう。あなたは この世と、また
その中にある人間関係から、種々の規則や 「ねばならない」から遠く遠く
隔絶されている と言う 深く静かな安息さえ 覚えることが出来るでしょう。
(その実感とは、「キリストと共に黄泉に到達したあなた」に必然的に訪れる
「キリストとあなたの復活」から 生じるものなのです。)
最後に、神の権威によって、今日「サタンの仕事場」は「この時空
(主として地上)とその中の事象内に」厳しく限定されております。
ですから、そのサタンの世界、即ち時空とその中の総ての事象から
遠く遠く切り離され、完全に縁の切れているあなたに
サタンの手など届くはずがないのです。これが神の真理です。
「私達を強力に縛り上げている総てのもの」から私達を完全に分離し
解放するもの、それこそが聖書が告げる「キリストの死」、十字架です。
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