2008年8月31日日曜日

ある兄弟の祈り

私は今 信仰とは
とてつもない恵みだということを再実感しています。
我々はこの特権に気付き、気付かされ、能動的に信じなければ
なりません。「神である永遠」の一かけらだけでもいいから「聖なる信仰」
によって見たい、という願いがとても強くなっていることを感じるのです。
その一かけらを見ること、
それに勝る「信仰の好循環」はないのではないでしょうか。

「聖なる信仰」と
「肉的信仰」は文字どおり天と地の差なのですね。
神の敵が決して入り込むことが出来ない永遠、
敵はその一かけらさえ見ることが出来ない「神である永遠」 。

神が、時空が始まる前 永遠の過去に 既に定めておられた御計画、
それは、復活のキリストの中にその永遠のすべてを納め、
聖なる信仰のみを通して
それを人間だけに与えられる と言う「信じられないような」恵み。

私は今神に対し
「時空に属する見せかけの恵み」などではなく、「神なる永遠の恵み」の
一かけらを垣間見させて下さい、と祈りをささげるのです。

ああハレルヤ、
父なる神を、永遠なる神を、復活のキリストを賛美します。

0 件のコメント: