2008年7月15日火曜日

自然さこそ

*ある兄弟のメールから*

S姉妹からお便りを頂きました。

その文面は真実に溢れ、そしてとても自然でした。

自然さこそ まことの信仰に直結します。

思いで獲得した信仰は、時々自然さから離れ、罠に陥ります。

神の愛は自然さから自然に出て来ます。

信仰も思いを超越したものだと思います。

「電話コイノニヤ」 いいですねー。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

Sugarさん、クリスチャンは何をすべきか?という私の質問に対して、「何もしないこと」というSugarの答えはすばらしかったです。お言葉通り、昨日から何もしないように自然な振る舞いをしていたら、今日不思議な出会いが三つ起きました。一つ目は1年ぶりに電車の中でコロンビアの友人に会いました。彼女は何とクリスチャンになっていました!そしてその1時間後、今度はC駅で1年ぶりに前の教会の兄弟に会いました。この兄弟は私が猫をあげた方です。彼もびっくりしていましたが、とても嬉しそうでした。最後にT駅に降りたら、洋裁教室の知り合いに会いました。彼女を自宅に招き自然な証ができました。やっぱり私が何もしなければ、私に代わって神様がいろいろやるということの実体験をしたということです。いやぁSugarさん、不思議なことですね。(妻の代筆です)

匿名 さんのコメント...
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Mr.Sugar さんのコメント...

「何もしない」時にこそ

ハデではない、隠れた小さな信仰が

機能するのでしょうね。


邪魔する私は引っ込み

「何とかして」主だけ働いていただくこと、

その秘訣を掴みたいものです。

改めて

「邪魔」と言う漢字にびっくりです。