・・実は長い間、聖徒という言葉には抵抗がありました。
聖徒というにはあまりにも、自分はみじめで醜く、罪に振り回されて、
その閉じ込めから どうする事もできなかったのですから。
ところが
救われてから3年目の葛藤の極みの時、主はご自身が 十字架上で
処刑される絵に私を重ねた幻を鮮やかに見せてくださいました。
私たち2人が重なって張り付けにされたかと思うや否や
一瞬の内にその十字架は粉々に砕かれてしまい その後、
天から気が狂いそうな喜びが注がれたのでした。
私にとっては記念すべき解放の一瞬でした。
「あなたはもう終わっている。あなたには何もできない。私が
あなたの内にいるのだから」
それ以来、召された者はすべて聖徒であるとはっきと言えるように
なりました。なぜなら「私」とはこの在ってある方、測り知れない方が
住まわれる神殿であると聖書に書いてあり、
その方が生きるので「私」も生きると書いてあるのですから、
キリストの血によって神の血縁関係にされたのですから、
私は聖なる者でなくてなんでしょう!
そのような立場と地位を得ておきながらも、日々に失敗をし、自己嫌悪に
陥り、その繰り返しの者ですが、そんな自分への関心も薄れ、
ただ引き寄せてくださる主が 私の最大の関心の的となってくださっている
とは なんという恵みでしょう。
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ブログIn Adorationからの無断転載です。
真理を裏付けるこのような神からの幻は
エクレシア共有のもの、 私達全部の信仰のためです。
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