2008年7月17日木曜日

私は聖徒

・・実は長い間、聖徒という言葉には抵抗がありました。
聖徒というにはあまりにも、自分はみじめで醜く、罪に振り回されて、
その閉じ込めから どうする事もできなかったのですから。

ところが
救われてから3年目の葛藤の極みの時、主はご自身が 十字架上で
処刑される絵に私を重ねた幻を鮮やかに見せてくださいました。
私たち2人が重なって張り付けにされたかと思うや否や
一瞬の内にその十字架は粉々に砕かれてしまい その後、
天から気が狂いそうな喜びが注がれたのでした。  

私にとっては記念すべき解放の一瞬でした。
「あなたはもう終わっている。あなたには何もできない。私が
あなたの内にいるのだから」  
それ以来、召された者はすべて聖徒であるとはっきと言えるように
なりました。なぜなら「私」とはこの在ってある方、測り知れない方が
住まわれる神殿であると聖書に書いてあり、  
その方が生きるので「私」も生きると書いてあるのですから、
キリストの血によって神の血縁関係にされたのですから、
私は聖なる者でなくてなんでしょう!

そのような立場と地位を得ておきながらも、日々に失敗をし、自己嫌悪に
陥り、その繰り返しの者ですが、そんな自分への関心も薄れ、
ただ引き寄せてくださる主が 私の最大の関心の的となってくださっている
とは なんという恵みでしょう。


ブログIn Adorationからの無断転載です。
真理を裏付けるこのような神からの幻は 
エクレシア共有のもの、 私達全部の信仰のためです。

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