*あるメールから*
さて、仰せのこと もちろんこの世で働く神の敵の仕業です。
サタンを頭とする敵の軍勢が 私達の勝利の立場をねたみ
ウソの現象やウソの「証拠」を私たちに見せつけ、私たちがあたかも
勝利の場所にいないかのような錯覚を日夜 わたし達の環境・ 感覚・
経験を通してわたし達の思いに射ち込んでいるのです。この点で
彼らは正に天才であり そのダマシを見破ることが出来る人は
この世には唯の一人もいません。
実はこの世の総ての虚構は
ウソつきサタンの「はかなくあわれな」努力の成果に過ぎないのです。
にも拘らず、この世で私たちを取り巻く「リアル感に満ちた」 諸現象は
神の敵によって実に巧妙に高度に仕組まれたものなので キリスト者と
言えども とてもたやすく 「自分は敗北の中にいる」と思い込ませられ 神に
「勝利を与えて下さい」と祈るのです。そして何度も決心を固め
生来の力を振り絞って 勝利と言う高嶺の花に手を伸ばす涙ぐましい
努力をします。しかし その状態は既にまんまと敵のウソの術中に
はまっている姿なのです。
その原因は要するに、神が発している情報を知らないか、それとも情報を
シッカリ見据えていないか(つまり単に何となく眺めているだけか)或いは
信じる気がないか ではないでしょうか。時にある情報はあなたの 生死を
分けます。それは真剣に取り扱うべきものです。
ウソなど絶対につく筈がない神の
「天地に定まり大岩の如く微動だにしない言葉」を取り、十字架と復活
によって「既に完成し頑丈極まりない神の防空壕・キリスト」の中に
安心して留まること(入り込もうとするのではない)だけが
唯一の わたし達のするべきことです。私達は唯その場所の
安全さを信じ そこに安息して留まるだけでよいのです。
次に 私が置かれたこの場所がいかに堅固極まりないかを敵に対して
高らかに誇るべきです。(これは攻撃となります)。その「宣告」を実際に
口に出し 断固とした態度で敵の顔面に叩きつけてやることは 相当に
効果的です。「敵よ、神の言葉によれば 私は今 キリストの中にいる、
キリストと一つに されているのだよ、あんたも実は百も承知であるように」と。
戦争とは詰まるところ場所(領土)の争奪であり、そして戦いの
メイン部分は情報戦なのです。(要は神からの情報以外の「雑情報」に
惑わされないこと。)
当たり前ですがその性質上「絶対的に事実はウソに勝ちます」。
しかし真実を知らない人、信じない人、そしてその事実に立ち、
シッカリ腰をすえてその事実を用いない人は「必ずウソに負けます」、
事実がそこにあるのに。
それは この世の法廷と同じです。
2 件のコメント:
人はどうしても信じることより行いを優先します。しかし行いを超越するものとは、唯一信じることです。行い、祈り、感謝、等々は総て信仰による結果です。根源と結果を逆転させてしまうのが人間です。あぁ信仰とは奥が深いですね。主以外の何者か(自分を含めて)あるいは何か(方法、教理等)を狂信的に信じることと主を信じることの違いを体得することは実は意外と困難です。しかしそれを超越する方法は、ただ一つ。それは主を信じることだけです。
正常な信仰は
神の力を引き出します。
信仰と恵みは一対であるからであり、
信仰にはinto~の性質、信仰の対象と
一体化する性質があるからです。
「神の力現象」の伴わない「信仰」は
再検討する必要があるのかも知れません。
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