2008年6月13日金曜日

その後の高山さん

心筋梗塞で倒れられ、しかし危機を脱したあの高山貞三兄弟は 今
一週間ほど外泊中です。それは彼の会社の色々な調整の為です。
しかしそれも一段落しました。
さて これから貞三兄弟は あす14日再入院、そして16日 
何ととても大きな手術に踏み切ることになっているのです。

過ぐる5月22日体調が急変し、救急車で搬送される貞三さんは主に対し
「主よ、私の一切をあなたに委ねます」と明言したと言います。その後 
一週間ほど意識の無い状態が続いたのですが、
意識が戻った彼は  一週間がホンの一日のように感じられ、
そして次のように思われたそうです。
「ああ 正に主はあの私の祈りに応えて下さったのだ。
この総てをなさったのは主である、主が私を生かして下さったのだ」と。

糖尿病の上今回 動脈瘤も発見されたというこの患者について
医師は 「よくもまあ、こんなボロボロの心臓でここまで・・」という
感想を漏らしたといいます。
執刀は順天堂からの派遣医、バイパスを4本通すと言うこの大手術を
前にし  さすがの高山姉妹もつい心配になり、
御主人にその気持ちを伝えると、 彼は言いました:

「ここまでの総ては全く主であった。主が私を生かして下さったのだ。
だからこれからも大丈夫、全く心配はしていない。 それどころか
私は今 大きな平安と安息を楽しんでいる。実の所を言えば、
不思議なことに  この 手術を 受けることは今私の楽しみなのであり、
それを思うとワクワクする くらいなのだ。
だからもう くどくど主にお願いする必要も無いのだよ。」

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

平安と安息ですね。そしてその鍵は、私の中にイエスが在り、そして同時に私がイエスの中に在るということをただ信じること、これだけですね。先週のSugarさんとのコイノニヤの中で印象に残った一つを紹介します。
『聖書は、理解しようとすることよりも、ただ信じること、神はこれを願っている。被造物である私たちが無限の神を100%理解できるはずは絶対ありえない。しかし、信じることはできる。頭の良し悪し、能力にかかわらず、信じることはできる。人間の能力、環境は生まれながらに不平等に見えるが、信じるという能力は神から平等に与えられている。つまり、神にとっては「理解する」ということより「ただ信じること」の方が重要であり、だからこそ「ただ信じる」という能力は平等に与えられているということ。私たちはここに気づかなければならない。』
ちょっと脚色した部分があるかもしれませんが、しかし「信じること」ってほんとうにいいですね。

Mr.Sugar さんのコメント...

信じるって言うことは不思議です。

この世の中の「信じる」を見てみても、
それだけで その内容全部を頂けて
それを与えた方と同じレベル、同じ所に
おらせられる感じなのです。

理解しても頂けるわけではない。たとえ
100%理解したとしても。

「信じるが勝ち」ですね。