2008年5月26日月曜日

十字架とは「閉じ込められ」

何と神の主要な意志の一つは人を閉じ込めることです。

初めに神はその一人子を閉じ込められました。
神の御子は永遠の過去から神、父と共にあり何ものにも
閉じ込められることなど無いお方でした。
しかし彼はある時、時空と物質即ち肉体と言う制限の中に
閉じ込められたのです。何ということでしょう、無限なる「神の御子」
が時空の制限の中「人の子」の中に閉じ込められたのです。

その閉じ込められは先ずマリアのお腹の中から始まりました。
そして彼はある片田舎の小さな家庭の中、約30年間と言う時間の中に
閉じ込められたのです。その間、彼はどんなに多くの人間生活の雑多で
煩雑な閉じ込めの中に御自分を制限しなければならなかったことでしょう。
それは来る日も来る日もただ閉じ込められの連続だった筈です。
にもかかわらず、その閉じ込められは一面彼の喜びでもあったでしょう。
何故ならそれは彼の天の父の彼への明確な御意志であったからです。

そのようにしてある日、時が満ち彼は御自身の意志でその小さな
家族の中の人間生活と言う閉じ込めから更に、過酷極まりない
閉じ込められへと向かって出発されたのです。その日は正に、
3年半後の究極的な閉じ込め、即ち「一片の木に」閉じ込められる
場所への出発の日となったのです。

要約すると彼への閉じ込めは
①先ずは永遠と言う領域から、時空と言う限りある
囲いの中への移動から始まり
②そして彼はある時、その時空と言う領域の中の更に小さな一点である
十字形の木片に釘付けられると言う場所へと進んだのでした。
しかし事はそれだけで終わりませんでした。
彼は更なる究極的な閉じ込めを彼の身の上に容認されたのです。
③それはその木の閉じ込めの中で死ぬことでした。
死こそ最終的な閉じ込めなのです。
それが神の「人の子・イエス」対する明確な御意志でした。

ここに人が時空と物質の中で極言に至るまで閉じ込められた
と言う事実、その原型が完成したのです。
これこそ神の御業にとって決して欠くことの出来ない土台です。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

我々人間の日常の場のあらゆる場所においても、閉じ込められ、十字架の死の道が準備されていますね。以前Sugarさんが例えばで語られた銀行のキャッシュディスペンサーの待つ列の中の自分。前のおばちゃんが(失礼)使い方が分からずモタモタしている時、我々は死の中に閉じ込められているのです。この状況をどう乗り越えるか?天然の才能、この世で鍛えた才能の「忍耐」を適用するか、それとも十字架の死を適用するか。ハレルヤ!神はあらゆる場で我々にあなたのいのちへの道を用意されているのですね!