2008年1月10日木曜日

素通りする とてつもない言葉

・お前はいつも私と一緒にいる。私のものは、全部お前のものだ。
(ルカ15の31)
・総ては、あなた方のものです。パウロであれ、アポロであれ、
ケパであれ、また世界であれ、命であれ、死であれ、また現在のもの
であれ、未来のものであれ、総てあなた方のものです。
(1コリント3の21、22)
・キリストの内にこそ、神聖の全き充満が形態化して宿っており、
あなた方はキリスト(即ちあらゆる支配と権勢の頭)にあって満々と
満たされている。(コロサイ2の10)
・あなた方は既に死んでおり、あなた方の命は、キリストと共に、
神の内に隠されている。(コロサイ3の3)
・キリストイエスの中で、私達を共に復活させ、共に天上で座らせて
下さいました。(エペソ2の6)


キリスト者の所有や身分に関する以上の聖句は残念なことに 
普通私達にとって単に「聖書に書いてある」というだけの
一寸ありそうにもない「とてつもない言葉」に過ぎない。
従って多くの場合 せっかくのこれらの真理も私達の前をただ
素通りして行くばかりである。

しかしそれを言うならば例えば「キリストの内住」だって
「とんでもない、とてつもないこと」ではなかろうか。あなたはこの
「とてつもないこと」をどうして信じられるのであろうか、信じている
だけでなくなぜ当たり前のように楽しんでさえいるのだろうか。

それは、
あなたはある日「キリストの内住」と言う言葉を聞いた時なぜか それに
引き寄せられ、関心を持ち、思い巡らし、それを真に知りたいと言う
願いを抱き そのことに関し心を主に向けたからである、その様にして
ある時天から光が射し込み 遂にあなたの内に霊的な力・信仰が
発生したからである。これは一つの奇跡なのである。

その様にして キリストの内住と言う「永遠の領域にだけ存在する
神の真理」が初めて「私の時空に降り」私の経験となったのである。
信仰と言う奇跡が発生し、あなた自身がその真理と関わりを持たなければ
「神の永遠の真理」が あなたの時空に現れることはない。
神の目から見て事実はそこにあるとしても あなたの経験においては
相変わらずキリストはあなたからかけ離れた存在でしかないであろう。
信仰こそ キリストの復活の中に存在する天的な真理を
あなたの時空に至らせ「実現させ」経験させる通路なのである。

門は叩かれることなしに開けられることはあり得ない。
神の達成された真理を見ること それは殆どの場合 
あなたの心からの願いにかかっているのである。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

はじめまして、リチャードと申します。
Lukeさんの所で紹介されて以来、たまに拝見させていただいておりました。

Sugarさんが引用された聖句の数々、何度か読んだ事がありましたけれど、そのまま受け止めるには、実にとてつもない言葉ですね。
今まで幾度、あまり噛み締めもせずに、素通りしてきたことだろうと思わされました。

>信仰と言う奇跡が発生し、あなた自身がその真理と関わりを持たなければ
>「神の永遠の真理」が あなたの時空に現れることはない。

その通りです。
僕は今まで、真剣に、真理と関わりを持っていませんでした。

さらに門を叩き、書かれてある事を自分のものとし、実体化し、その恵みのうちを歩みたいと思います。

Mr.Sugar さんのコメント...

せっかく真摯なコメントを頂いたのに
今の今まで反応し得ず 大変失礼を
いたしました。お許し下さい。

あなたのコメントにより、私も改めて
真に「主ご自身と言う門」を叩き 
その真理との真実な関わりを、
即ち「信仰を機能させること」を
心しなければならない
と思い知らされました。
(今朝、実はヘブル11章前後を読み、
その感を新たに致しました。)

有難うございます。
そして
私にもこのような交わりが与えられている
故にただ主を賛美致します。