2007年12月25日火曜日

二人でも三人でも

去る11月 我孫子市での集まりに
一度だけ参加された中町さんは
お体の具合等でそれっきりになってしまった。
しかし素晴らしいことにこの中町姉妹はそれまで 
ご主人を導きながら自宅でたった二人で
聖書を開く時をしばしば持っていたのであった。
そこで私は思った、
ああそうであるならば 無理に我孫子の集まりに来ることも
ないではないか、と。
その時 私はあることを感じ、この姉妹にウオッッチマンニーの
小さなメッセージ集を一冊お送りしたのであった。

で 今日たった今 姉妹との電話でのやり取りに至るのである。
その電話でこの姉妹は何と
「この本のメッセージは私の中にスウッと入ってくる。
私の求めていたものはここにあった」と言うようなことを言われたのである。
この方がこの類のメッセージに触れたのは今回が初めてのようであった。

この寄る辺なき初老のご夫婦による小さな教会の集まりがここにもある。
これも確かに教会の一部なのだ。いや、これこそ教会の原点、或いは
少なくとも教会の有力な一単位と言えるであろう。

「二人でも三人でも、私の名の中へ集まるところには、私もその中にいる。」
(マタイ18の20)

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