2007年12月29日土曜日

「キリストの中の私」へ(2)

私たちは内にキリストを頂いたら(HE in me)その時、直ちに
更に「私はキリストにある」こと「私はキリストと一つであること」
(I in HIM)を教えられ、その事実を見、信じ、その事実に安息し、
それを現実の生活の中に適用しなければなりません。
(私たちはそうするべきだったのです。)
だからポイントは そこにある事実、あなたがキリストと一つであることを
「見ること」にあります。
総ての解決はキリストにあります。だから もしもあなたが本当に
キリストと一つであるならば 何の問題も無いのです。
なぜならあなたは既に「解決」を持っているからです。

神はただ一人キリストにおいてだけことをなさるのです。あの人だけが
キリストなのです。キリストは他にどこにもいません。ただあのイエスだけが
キリスト(仕事をなさる方)なのです。
そしてキリストにおいて 総ての神の業は既に完成されています。
その時点においては、仕事をすると言う事においては 
あなたは神と何の関係もありません。
神がなさることを あなたはかたわらで黙って眺めているだけです。
キリストの業においてあなたに可能なこと 出来ることは
ただの一つも無いのです。

次に神は「その総てなるキリスト」とあなたを一つにするのです。
つまり、「その総てなるキリスト」をあなたに与えるのです。
そして何と そのことさえも既に終わっているのです。
だからあなたには何をする必要もありません。
そのキリストとの一つの中に留まっていさえすればよいのです。

問題はそのキリストとの一つについて 私達は無関心であること、
真剣でないこと、知らないこと、信じないことだけなのです。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

はじめまして。コメントは初めてですがいつも拝見させて頂いております。zeroと申します。

日記を読ませていただいて、激しく
「アーメン」と心の中で叫びました。

ですから、思わず書き込みさせていただきました。

またお邪魔いたします。

Mr.Sugar さんのコメント...

有難うございます。
嬉しいです。

いつもの勝手な私の物言い、
一寸 気恥ずかしいところが
ないわけでもないのですが・・

キリストの中の私
言いたいことは山ほどあるのですが
テーマが大きすぎて
言い出しに苦慮しております。

どうぞよろしく。