昨日夕方、小屋に戻りました。
11/9の一泊を除けば、何と24日ぶりの山の空気です。
やはり山はいいです。
夕べぐっすりと眠って 早朝ロフトのデッキに出たら西に沈む未明の
白く大きな月がほほ笑んでいるかのようでした。
もう木々はすっかり葉を落としています。
さてケンのこと:
ホンと この事態をどう説明したらよいのか私にはわかりません。
とにかく状況はこれ以上はあり得ない程の嬉しい結果になったのです。
発病して10年、これまで何度もひどくこじらせ 病状をぶり返し
入退院を繰り返して来た統合失調症の患者がこれほどよくなる
ものだろうか、と思う程の回復なのです。
11/9の失踪もどうやら健常者の感覚に近くなった彼が
病院の雰囲気にいたたまれなくなって
つい取ってしまった行動のようです。
とにかく何故かこのたび 我が家にあり得ないことが突然起こりました。
この不思議としか言いようの無い感覚はきっとこれからの私をしばしば
幸福にしてくれることでしょう。
と言うわけで主治医の太鼓判のもと、20日ケンは正式に退院、家に戻り
これから社会復帰に向けてその歩を踏み出して行くことになります。
この度の明確でそして一見急激とも見える「主の介入」:
思えば私がある促しを感じ ケンについて「恥も外聞もなく」ブログに
載せられたこと これが一つのきっかけになったように思わされます。
(これは 神とサタンと人間の前にケンをそして私を置いた
と言う事なのかも知れない)
その結果 多くの聖徒達の関心がケンに注がれることになり 沢山の
真摯な祈りが神に捧げられたことを私は感じたように思われます。
キリスト者の生活と言えども決してその実態はハッピー、順調、ラブ
ラブだけなどと言うことなどあり得ません。一皮むけば、むしろ悲惨で
悲しく大変な現実が沢山あり得るのです。むしろその方が自然であると
言うべきも知れません。
しかし私たちの主イエスはむしろそのような局面の只中に喜んで
来ようとされるお方なのではないでしょうか。
福音書はそのような例に満ちているように思われます。
「主よ、私の実情はこの通りです。この悲惨さが私の実力です。
でも主よ 私はこの総てを全能のあなたの手の上に置くことが出来ます。
主よ私は自分の弱さを誇ります。なぜならその私の弱さにおいてのみ
あなたはあなたがお働きになるチャンスを得ることが出来るからです」
この度 私が小屋を留守にいていた間
わが息子ケンのことを覚えて頂いた方々、
それからこのブログにコメントをお寄せ頂いた皆さん、
本当に有難うございました。
☆
下の写真は居間:
未だに断熱材むき出しのこの部屋も
光が少ないと美しくさえ見える。
4 件のコメント:
>なぜならその私の弱さにおいてのみ
あなたはあなたがお働きになるチャンスを得ることが出来るからです
アーメン!
主のなさる事は本当に時にかなって美しい!ですね
お証に励まされます。私の母ももう本当に長い間統合失調症で大変でした。
ほんと、弱さを誇り、弱さに留まるだけですね
このたびのケンに関わることのさ中
何故か、あなた様とご主人のことを
思い出すことがありました。
きっとどこかで繋がっていたのでしょう。
私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。ヘブル10:39
主イエス·キリストの御名によって感謝して祈ります。アーメン。
「信じていのちを保つ」
ももちゃん、有難う、
ホンとにアーメンです。
その内またお会い出来ますように。
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