2007年10月18日木曜日

ある交わりの回復

私たちが今 思いがけなくまた実に不思議にも 
このようにして再会するのは
早すぎても遅すぎてもきっとだめであったろう。
今この時 神は私たちを完全なそして絶妙のタイミングで
会わせて下さったのだ。神はほむべきかな。

総て事をなさるのは人ではなく神である。
イエスは言われたではないか
「私が教会を、ザ チャーチを建てるのだ」と。
神は人の余計な手出しなど全く不必要なのである。

私は今回「何かのグループ」の中に
「ある正しい教会の囲い」の中の中へ
あなたを連れ戻そうとしに来たのではない。
正当なグループとか「絶対的に正しい教会」とか、
それが一体何だと言うのか。
あなたは どこに帰るも帰らないもないのである。
どこに戻るも戻らないも無いのだ。
真にあなたは神から生まれ、今神の家族となり 
既にあのエクレシア(教会)の中にいるではないか。
私と共に 今既にキリストのからだの中にいるではないか。

私はだから ただ単純にあなたと交わりたいだけなのだ。
あなたは主にある私の兄弟である。もうそれだけで十分ではないか。
そこに何をどうプラスする必要があるのだろうか。
何もあろう筈が無い! 私たちの交わりとは
父そして私たちの長兄イエスキリストとの交わりなのだから。

私たちを今まで隔てて来たものは
何と言うことだろう「いわゆる聖書的正しさ」であった!
その「正しさ」がいつの間にか、
生けるキリストに取って代わってしまったのだ。「正しさ」が
言わば聖霊の生ける「ビリビリ」に取って代わってしまったのだ。

私たちが「聖書的正しさ」の故に盲目にされて来た長い年月
私の熱情と「正しい突進」によって
何と多くの私たちの愛する者を、主のものである兄弟姉妹を
踏み倒し、傷つけ、殺しさえして来たことであろう!

しかし生けるキリストを最優先する時、種々の「聖書的正しさ」も
そしていわゆる「教会の立場」でさえもきっと
ハーモニーの中で、そのふさわしい命にある位置づけの中で、 
その麗しい姿を自然に現してくれる筈である。
そしてその時に現れるキリストの全体は何と美しいことであろう。

だから この優先順位だけは決して間違えてはならないのだ。
どうしても無くてならないもの、それは決して多くは無い、
いや、只唯一つだけである。
それは今現在 どんな人も規定したり固定したり出来ない
実に「不思議」で自在なあの復活のキリストなのである。

私たちが若き日に見た明瞭なあの幻は実は、
決して「唯一の使徒による絶対的な神の託宣」等ではなく 
単純素朴、当たり前で普通の「これ」であった。
いかなる警戒心も無い、どんなものにも妨げられることの無い
総ての兄弟姉妹達との自由で屈託の無い普通の「交わり」であった。
それこそが「教会の実質」であり、それこそが
この時代における神の御心の中心なのである。

今後私たちが「この単純な道」を進んで行く時 
主の十字架は私をズタズタに引き裂くであろう。
それでも私は唯このためにある。
そんなに長くは無いであろう私に残された時間、
駆け抜けるべき最後のホームストレッチ
私の命は唯このためにある。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

今日は、優先順位という言葉に、心とまりました。このことについて思い巡らしてみます。

匿名 さんのコメント...

はじめして、meekともうします。春ごろにemiさんから勧めをいただいておりました。私も子どものことで悩み、最近、回復を体験いたしました。「~ハーモニーの中で、~その麗しい姿を自然に現してくれる筈である。
」まことにアーメンです。Mr.Sugerさんの息子様のこともお祈りしております。

Mr.Sugar さんのコメント...

匿名さん、コメント有難う。

例えば、被造物の中で

神の偏重とも見える優先順位のトップは

人間です。

何故だか私にはわかりませんが、

これは明らかな事実です。

Mr.Sugar さんのコメント...

MEEK さん、

私のコメントなぜか今開通しました。

息子のこと有難うございます。

ミークさんのコメントを見て

なぜか今 息子は大丈夫だ、と

感じさせられました。不思議です。