2007年10月17日水曜日

あるメール交換から

おたよりありがとうございます。
繋がることもいらない、もうキリストと一つなので、
その中に安息していればよかったのですね。
どうも落ち込んだりすると、自分の状態を見つめてしまっていけません。
そのときどうであっても、神が完成された事実を信じることですね。
私は十字架でキリストと共に死んで墓の中でした。
今生きているのは私ではなくキリストでした。

キリストをどの程度私に与えられたかは、イエスと私の区別がないほどに。
これ あまりにも恐れ多くてうそみたい!
でも神が達成されたということを信じる事でした。
愚かな自分に言い聞かせます。
すぐ引き出されていまい どうしようもない私の信仰を、
強めてくださいと祈ります。

☆ 
今回あなたのメールに大感激です。
実際神の真理はその殆どが「恐れ多くて嘘みたい」です。
だからこそ信じることが要求されるのです。
少し意志を用いて信仰と言うあなたの能力を機能させて下さい。
神はそんな嘘みたいな素晴らしいことを完成し、
私達に ただで貰うようにと言われるのです!
だからこそ恵みなのです。

そうです。言われるように 
その事実からから引き出されなければいいのです。
でもホンとの所 私たちはとてもたやすく引き出されます。
人間とは一日中 様々なとんでもない感覚に
ホンロウされているのが常だからです。
だから気がついた時 引き出されたと感じたら、
再びすぐに神の真理に戻ることです。
方法の一つとしては 口で神の事実 真理を宣言することは有効です。
そして時には敢えてサタンにその真理をぶつけてやる、
「嘘つきサタンよ、私はもうキリストの一部なのだ!」と。

そして更にその主と一つである事実に
「しみじみと浸る」ことが出来れば最高です。
これがいわゆる恍惚の時!
しかしそれは一寸した上級段階です。
これは徐々に練習して見てください。これたとえ すぐに出来なくとも
ガッカリしてはいけません。決してそれが敵に利用されてはなりません。 
感覚がなくとも事実は事実なのです。
天的感覚は時に応じて上からくるのです。

あくまで 神が達成済みの事実→信仰→感覚です。
この順番がくつがえることはあり得ません。

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