2007年8月18日土曜日

真の存在

8月15日に
「神の創造以前、神以外何も無かった。
その神は霊である。
だから実質、リアリティは霊、霊こそリアリティ。
だから、単なる物質は真のリアリティであるとは
とても言えない」と書いた。

神の名前はエホバ I  AM. である。(出エジプト3の14)
AM とは「存在する」の意である。
神はここで「私は存在する、私だけが存在する」と主張され、
言外に「私以外は存在ではない」と言っておられるのである!
従って神のみがこの宇宙において
唯一の真の「存在者」(七十人訳)と言うことになる。
真の と言うのは「永遠から永遠まで聖であり新鮮で不変な命である」
という意味である。

この存在と比較出来るものが他にあり得ようか。
この存在と比べるならばいかなる物も「存在」の名に値しない。
絶えず変化し、直ぐに腐敗腐食に向かい、たちどころに消え去って行く
ようなものを神は真の存在とは呼ばれないのである。
神は霊である。だから神の霊のみがリアリティ、存在なのだ。

イエスにおいて I  AM が人間性と一つとなられた。
例えば イエスがピラトの前に立たれたとき、
そこには宇宙で唯一の確固たる存在があったのである。
それと比べるならばピラトは何らの「存在」でさえなかった。
彼は言わば無に過ぎなかったのである。
しかし無でさえも有に対して口はきけるようである、
「リアリティ(真理)とは何か」と。
正にその時、ピラトは自分と言う「虚構」の中に眼前の真の存在を
信じ受け入れるべきであったのだ。
ほどなくピラトは失脚し自殺した。

そのようにして
十字架を経た真の存在者・無から有を生み出されるお方は 
復活を通しその「真の存在」を人々に分け与えられた。
実に今 ピラトと同様 むなしい風のような軽口を叩くだけの
無に等しい私達が「永遠の新鮮な存在、リアリティ、実質」を
「永遠不変な命」として「永遠の霊」の中で
確かに所有しているのである。

これは何と驚くべき事実ではないか。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

今朝、薄ありの中で目が覚めた。そこで聞こえてきたのは「私はネオスではなくカイノスの命である」と! 古びることのない、日々に全く新しい命。ただお一人のI AM。
この方のいのちを私も所有している。なんて 凄いこと!!

Mr.Sugar さんのコメント...

私の今朝も不思議でした。

4時頃かな、
もう寝ようとベッドに向かった時
I AM のことが「来た」のです。
もう寝るわけには行きません。
これは「霊がもっともリアルなもの」から
発展した何か でした。

真理のあることに集中し主に向いていると、こういうことがよくあるようです。
聖霊が総ての真理に導いて下さるのは
本当ですね。
聖書を調べてみたのはそのあとでした。
それはよい確認となったのです。