制限の無い復活のイエスを内に持つ制限の中に閉じ込められた私
と言う不思議さ、
無制限と制限の同居という不思議さ。
しかし その無制限なお方は いまだに人イエスであられる
という驚くべき事実がある。
無制限な「人」と言う存在が現にここにおられるのだ。
そして今 その無制限となられたアダムは 私というアダムと
完全に符合しているという真理。
だから もっとこの私から 無制限が現れていいのではなかろうか。
この地上の生物の自己複製でさえ極めて神秘的な現象であるとするならば
ましてや 天的複製の為には更に
復活の中におられる、今日の奥義的天地の人 イエスに
「臆面も無く」依存するべきなのではなかろうか。
そのようにして
この地上の因果などとは関係なく 私達が住む「あの場所」*から
この天的無制限が現れるのでなければ
天的自己複製が 時空の中へ出現することなどあり得ない。
*ヨハネ14の2
☆
つかの間の梅雨の晴れ間、
初夏の強烈な日の光が
黒々とさえ見える濃い木々の緑に降り注ぎ 溢れている。
カリマンの森は今 天国の一かけら。
「霧の谷」に面する窓の向こうで
ホトトギスがひと鳴きし 北の空へと飛び去った。
カッコウは あれからもう来てくれませんネ、どうしてかなー。
今日はバスルーム工事、
初体験 プラスター塗りの初日です。
ジョイフル本田のプラスターは安かった。だから
もしこれ うまく行ったら きっとこの小屋のいろんな所が
白い塗壁になることでしょう。
私の小屋作りの建材等 殆どこんな具合に決定されるのです。
源イメージは大切に、しかし
目先の工事は 正にその時の気分次第。
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