2007年4月21日土曜日

  死について5.

(6)「あの招かれざる客」の目当て
  
 それでは「死について2」の「さまざまな顔を持つ死」と言う
困った客 を私たちはどのように取り扱うべきなのでしょうか。
① 先ずは 常日頃から 彼らの来訪は絶対に避けられないものと
覚悟を決めておかねばなりません。
 所が 私たちはそれが出来ません。彼らはいずれやって来ると 
どこかで分かっているのに それをよくも考えず、考えることさえ避け 
むしろ見ないように 無視するように努めるのです。しかし本心では
常に不安なのです。これでは 要するに逃避です。
② 突然の来訪にもあわてず、騒がず。
 ところが、これが更に難しいのです。私たちは 先ずはあわてます、
悲しみ 騒ぎます そして落ち込みます。はてはこんな客が来るのは
他人のせいだと 人を恨みます。正に 暗黒と混乱です。

 さて以上の情景は何を物語っているのでしょうか。
それは「死は今 完全にサタンの手の中にある」と言う事実です。
したがって この①②の状態の中にいる限り 私たちは神から 命から
切り離され 死が死を生み 更に「神と命からの隔絶」に向かって
突き進んでいるのです。
 キリスト者であっても ひどい場合 中には神を恨む人さえいるかも
知れません。これではサタンは ほくそえむばかりです。
 これは正に 「サタンの武器 死と虚偽」が完全に機能している姿です。

 さて以上は いわば 横綱級の客 相当深刻な来訪の描写です。
しかし現実には 私たちの日常生活の もっと身近な所に頻繁に訪れる、
中小の客の方が多いのです。しかし彼らの目当ても 
原則としては同じです。

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