2007年4月18日水曜日

   死について 2.

  (3)青き,水の地球

 この世は「死の水槽」の中に沈んでおります。
ですからこの世のあらゆるものは 
その中に「死の水分」を含んでいることになります。
 相当遠くの宇宙から地球を見ると 地球は青く見え
水の玉ようであると 宇宙飛行士は言います。
 また鏡を見ると もうすぐ66歳になる私の顔も だいぶこの頃 
水け(死気)が増えて来ているようです。しかし私の顔だけでは
ありませんよ。この世の総てのものは 少し叩くだけで 
中の水が、死の気配が 水音を立てるのです。
 
 さて ある高貴な武士は 切腹を目前にした最後の食事の際 
彼の体に合わない食べ物は丁重に辞退したと言うことです。
この態度はとても立派です。私達は いたずらに自ら 
自分の中に死を呼び込むようなことをしてはなりません。
それは人の道にもとります。私たちは端然として常に死ぬまで
「生の道、人の道」を歩むべきです。

 それにしても「さまざまな顔をした死」は人生のいたるところのコーナーで
私たちを待ち構えております。苦痛、不和、争い、弱さ、体力の衰え、老化、
混乱、さびしさ、孤独、病、圧迫、制限、事故、別れ、死別、等・・・は 
死の顔のホンの一部に過ぎません。

  招かれざる客
 さて 日々、いや、時々刻々 私たちに面会を求めにくるこれらの
「死と言う来客」に対して 私達はどうするべきなのでしょうか。
簡単です、玄関口で礼をつくして お引取り願えばいいのです。
その際 その時の私の態度一つで 帰ってくれる客もきっと
少なくない筈です。 

 ところが、それでもどうしても帰ってくれない、無遠慮にも 土足で 
ズカズカと座敷に上がりこんで来そうな「死ドモ」に対しては、いや、 
もう既に 上がりこんでしまっている この大変な客に対しては
私たちはどんな態度で対応するべきなのでしょうか。

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