(1)死とは隔絶、機能停止
一般に 死とは消滅であると思われているようですが
それは大きな間違いです。
エネルギーでさえ不滅なのですから 総てのものは「何らかの姿で」
いつまでも存在し続けるのではないでしょうか。
聖書によると万物は、少なくも人間は、永遠に存在します。
「もの」が存在する究極的最悪の場所は「火の池」ですが、
そこで ものが消滅してしまうと言う事は決して無いのです。
またよく 死とは『終り』であると言われますが その意味はとても
曖昧です。それは完結や区切りのことでしょうか、それとも駄目になり
滅亡することなのでしょうか?いずれにしても分かりにくいのです。
新約聖書全般から見て 死とは 命の対極にあるものであり、
命から人を徹底的に隔絶しようとする力です。
死の根源 力はサタンであり、「命の究極的な姿」が神です。
ですから 神の敵サタンの死の力は 「究極的な命である神」から
人をひたすら隔絶するために働きます。彼の目的は 神と人との
1つを成就させず 2の原則をもたらすこと、即ち
『神から人を徹底的に切り離し、隔絶すること』にあるのです。
さて今 もしもあなたが 命なる神から切り離されている人である
ならば あなたには 神に対してどんな感覚や 反応、機能もありません。
従って今 既にあなたは神に対しては死人です。ここから
死や、滅びの第2の意味 『無反応、機能停止、不能』が引き出されます。
死とは 先ずは究極的な切り離し、隔絶であり、第2の意味は
機能停止や無反応なのです。
(2)死を神の手から受ける
さて 死はもともと サタンの力ですが、
しかしひとたび あなたによって あなたの周囲の死と死の環境が
神の手に渡されるその瞬間 何と死さえも神の所有となり!
『神からの隔絶と神に対する機能停止』は完全に終焉するだけでなく
あなたは直ちに神へと結合し 神に対して機能し反応する立場を
獲得するのです。
そのようにして『隔絶と機能停止』が 今度は
神のために 実に有効な働きを開始することになるのです。
あなたが 敢えて神の御心の中で あなたの意志を用いて
この死と死の状況を総て 神の手から受ける時
そして時には キリストと共にその死の中を経過して行くとき
死はこの上もなく 偉大な力を発揮するのです。
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