御子をさえ賜ったほどに その子達を愛される父、
その同じ父から 霊の命によって生まれた真の兄弟達であるのに
どうして私たちは今 自由に交わることさえ出来ないのだろう!
例えば 中国に預けられた幼い妹と帰国した小さな兄、
半世紀もの長い歳月が経過してしまった今でさえ
たとえ 老いてしまって互いの顔の認識が出来ないとしても
不思議な命の本能の中、彼らの心の中に
強く慕いあう何かが確かにある と彼らでさえ証しているのに。
* * *
キリスト者は完全に自由なはずなのに、
その自由を キリストはご自身の命を捨ててまでも
私たちに与えて下さった筈なのに、
そして絶対に「私の主は 唯キリストお一人だけである」のに
どうして
『キリストと私たちの間に立つ何物か』の故に
こんなにも悩まなければならないのだろう!
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