2012年1月7日土曜日

人の自由意志

私は総てを「意識をもって主体的に」
行動するべきである。
だから私・私の意志は、自分の魂と体を
意識的に用い、使用し、機能させなければならない。

「半無意識的に、何となくやる」はよくない。
「何か」が飛来して来て、知らぬ間に、
私の魂と体を動かすのを待つ、期待する、
のはよくない。
その内に、フワッと「神秘的、超自然的な力」に
乗っかりたい、とあこがれるのはよくない。

今日、このような考えが、キリスト者の間で
「霊的」と思われているかも知れないが
それは聖書の真理とはほど遠いものである。


神は人と同労したい、人と共に働きたい、のであって
神ご自身が、人に
・取って代わって、
・成り代わって
・置き換わって
・人の皮をかぶって
行動されること等ない。
神は断じて人をアヤツり人形にしたいのではない。

人は断固「神のみこころ」のために、
自ら立ち上がらねばならない。
確かに神と聖霊は、人がみこころの為に立ち上がるように、
人に対して全力で働きかけはするが、最終的に
神が人の中にもぐりこんで、人の代わりに、
人の知らない間に、立ち上がられる、
ということはない。

実際の所、そのように働きかけるのは、聖霊ではなく
巧みに人の心にしのび込むヘビ・悪霊そのものである
ことを私達は知るべきである。

これが創世記3章の警告であり
かように、人の自由意志は極めて尊い。


「では、シッカリと立ちなさい」パウロ(エペソ6の14)

2 件のコメント:

トミー さんのコメント...

「では、シッカリと立ちなさい」

ズンっと心に響きますね。

Mr.Sugar さんのコメント...

さっき、
「主よ、シッカリと歯をみがきます。」
と言って
「立って」(これは霊的な意味で)
みがいたら結構よかったです。