2011年12月29日木曜日

人の霊と意志

人の霊は神の意志(みこころ)を感知し①
人の意志は、人の霊をも含む全身を管理するべきです②




人の魂(知性、感情、意志)や体が
霊をさしおいて最初に、みこころを感知することはありません。
これは重要なポイントです。しかし後に「知性」も
みこころを知るのです。大切なのは順序です。

しかし悪霊は聖霊を装(よそお)い(聖霊のフリをして)
しばしば人の魂と体に、時に超自然的に「ニセのみこころ」を
知らせに来ます。(極端な場合、悪霊は肉体の目に見える
「イエス」として現れさえします。これがコリント書にある
「異なったイエス」でもあります。)

このようにして人はたやすく「みこころ」を誤解します。
今日これにだまされないキリスト者はむしろマレでしょう。
(あざむかれるのは熱心なキリスト者ほど多いようです。)

これと「ま逆」に、聖霊が人の霊に
神の意志を伝達する方法は直接的ですが、それはとても静かです。
だから私達は、自分の魂(思い、感情、意志)や体の興奮を避け、
静けさと落ち着きの中で終日「自然で無理のない」
生活を送るべきです。体と魂の騒音が聖霊のとても
「奥ゆかしい声」をかき消すからです。(聖霊の声はロックコンサート会場
のスグ外でないている、か細い秋の虫のささやきのようです。)



①の後は、
人の意志が「立ち上がる」必要があります。
人の意志が「示された神の意志」を遂行する決意を表明し
「他の諸機能」(魂と体)の「わがまま勝手」を拒絶し、
それらを管理する生活を実行しようと立ち上がる時に初めて
聖霊は人の力となられます。

②が現実のものとならないなら
「自然に」聖霊が人の力となることはあり得ません。
(これも重要なポイントです。)
もしも人が、②の「意志の表明」を明確に行わない場合
やはり悪霊が「無断で」キリスト者の中に侵入し、
「悪霊の不思議な力」を現すことがあります(予知能力等)。
その時キリスト者は、これを聖霊の力だと誤解して喜ぶでしょう。
しかし徐々に悪霊はそのキリスト者を苦しめ始めます。
これも今日のありふれた光景です。

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