2011年9月8日木曜日

当時のお金

当時のお金の価値を実感するには
1デナリが当時の一日の賃金であったことから考えると
分りやすいです。
やもめのレプタは、1デナリの128分の1だそうです。
だから、今の日本での一日の賃金を仮に1万円とすると
1レプタは大体78円、レプタ銅貨2つで156円ですから
このやもめの貧しさはかなりのものなのでしょう。

また、マルコに出てくるコドラントはローマのお金であって
「2レプタは1コドラントに当たる」とマルコは、当時のローマの
読者の為に書いています。当時のローマの大衆用銭湯の料金が
1コドラントであったことはおもしろい情報です。
これからすると、やもめの全財産とは、ローマ大衆のたった
一回の入浴料だった、と言えるようです。

さて
キリスト者であるならば例外なく必ず与えられている
と言う「主にある働き」の為の「最低保証の資本金」
1タラントとは以下のようになりそうです。

これは、やもめの話とは大違いで、
1タラントは何と6000デナリに当たるそうです。
ですからそれに1万円をかけて見ると
6000×10000=60,000,000円
(6千万円)にもなります。

こうなるとクリスチャンでありさえすれば、神の働きのために
既に最低でも6千万円と言う大金が与えられていることになり、
神に対して「私はたった1タラントしか頂きませんでしたので」
等と言う言いわけはかなり難しいことになりそうです。
(マタイ25の14~30)


或は間違いがあるかも知れませんので
お気づきの方はお知らせください。

3 件のコメント:

鳩 さんのコメント...

ご無沙汰しております。

当時、捧げた金額がその場で大声で発表されたそうです。人として見るならば、その恥ずかしさは痛いものがあります。自尊心を手放していなければ、捧げられなかったであろうと推察するところです。

6千万円、初めてこの金額を聞いた時には、驚きました。もしや自分は土の中に…と思い悩んだ時もありました。
今は思い悩みませんが、記事を拝読し、実際どうなんだろう、と自分の歩みを振り返させられます。

Willie Yanaka さんのコメント...

うわぁ、それは大金ですね!

Mr.Sugar さんのコメント...

感謝です。

人生の計りがたい価値を

考えさせられるばかりです。