2011年9月21日水曜日

小さな電気工事をしました

今日は一日雨。
でも嬉しいことに明日は朝から晴れです。
それにしても実家の利根川は大丈夫でしょうか。

昨日は一寸した電気工事をしました。きのうまでは
居間に100ワットの電球をつけていたのですが
今日から机に向かう時はたった20ワットですみます。
(デスクワーク用スポットライトです)どうやら
電気工事にも少しはなれて来たようです。


★ウソ力(りょく)★

確かに「ウソ力」というものがあります。
それは、人にリアル性を感じさせるものであり、そこには
ある権威が背後にあり、秩序や活動が存在するのです。

だから、ウソによって建てられた
さまざまな建築物(構造物)は確実に存在します。
(物質の構造物だけではありません)それは多くの場合、
山のように人の眼前にそびえ立ち、私達はそこにリアリティや
勢(いきお)いを覚えざるを得ません。確かにその山々は
「ある現象」には違いないのです。

ところが
ある現象だからと言って、本物とは限りません。
例えば蜃気楼(しんきろう)は、確かにある現象ですが、
本物ではないようなものです。(実は私もそのような現象を
この山で見たことがあります)それらは
間違いなく「ある現象」には違いないのですが、
「実質」ではないのです。だから
「どの現象を信じるか」はとても大切です。

それらウソから出て来た現象の特徴(とくちょう)
としては、一時的、変化する、腐敗しやすい、
「可燃性」である、空虚である、神から人を離す性質
(死の力)を持つ等があげられます。それらは確実に
人をだまし、究極的にはきわめて大きな悲しみの深みに
人を沈めてしまうことになります。

結論を言えば
「キリストの復活から出たもの」
すなわち「永遠性のもの」「不死性のもの」でなければ
いくら人の五感で「あるある」とリアルに感じられた
としても、決してそれらは「実質」ではありません。

聖書とは、この
「キリストの復活から出たもの」と
「ウソ力から出るさまざまな現象」との比較を
見せている本なのでしょう。

今朝、新しいスポットライトの下
雨を見ながら、そんなことを考えておりました。

*「可燃性」である、とは
いずれ神によって燃やされると言う意味です。

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