2011年7月27日水曜日

急きょ入山しました

突然ある事情が発生し、入山しました。


元来、祈り・神への懇願(こんがん)は
・私には「神の業」を行うことなど
全く不可能であるという認識と
・神にだけ
それは可能であると言う認識のもとに

自然に発生するものではないでしょうか。
その時私はいやおう無しに
どうしても祈らざるを得ないのです。

なぜなら、
潜在(せんざい)的にせよ、心のどこかで
「私にも少しは出来るのではないか」と
感じているならば、もともと何も祈る必要などなく、
自分でやればいいわけで、
その神への祈りは真実性に欠けるのです。

事実、
時間と空間の中に制限され、
自然界しか知らない私たちに、

超自然的力を持つ神の敵の
周到(しゅうとう)な 画策(かくさく)に
対抗する力など モウトウあるはずがありません。
それは悪漢の前の赤ちゃん同様です。

しかし時がいたり、
「私は本当に全く何も出来ない!」と
シミジミ感じること、
私の無力と神の有力を本当に「知る」こと、
これが霊的学課のレッスン1であり、

神でさえ苦労されて
私たち一人一人にどうしても教えなければならない
基礎中の基礎であるはずです。

しかし一面
「その認識の程度」は生涯にわたって
深まって行くことも確かなようです。

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