2011年6月13日月曜日

時空世界と永遠の世界

★6:10

地上のキリスト者の霊と天にあるキリスト(の事実)は
一連(いちれん)のものです。
それらは
水源(すいげん)水道管、手もとのコック・スイッチのように
「一つながり」です。「手もとのスイッチ」は、最も深い私、
すなわち「私の霊」の中にあります。

天もキリストもキリストの勝利も
「時空世界をこえた世界」のものですので
時空内のもの(物・脳みそなど)をいくら働かせても
理解(りかい)することは不可能です。

それはまるで、寒暖計(かんだんけい)で
一生けんめい「重さ」をはかっているようなものです。
(ホーキング博士の高性能の寒暖計でもムリです)

その理由は
時空世界と永遠の世界との間には大きな淵(フチ)があって
こちらから向こうへとび越(こ)えることは
不可能であるからです。(向こうからこちらへは別です)

しかしキリスト者には、霊の中に、そのフチを
とび越(こ)える信仰という道具がプレゼントされております。
これは大した特権(とっけん)です。そしてこの信仰も実は
向こう側のものであり、霊に属(ぞく)するものです。

キリスト者とは
時空世界に体で触(ふ)れ、自分の霊を通して時空を
越えた世界にも触(ふ)れることができると言う
とてもめずらしく貴重(きちょう)な生き物です。
(しかし霊を用いないで、脳みそだけを使っているならば、
それは別の話です。)

聖書では、
永遠の世界をよく「天的、上の(上位の)、霊的、永遠の」
等と表現しています。聖書によく出てくる神、キリスト、命、
信仰、「ことば」等はことごとく天的、霊的で永遠性のものです。

だから聖書で言う永遠とは、「エンドレスなこの世界の時間」
ではありません。「永遠の命」がそんな命だとしたら、
5千年も生きたらタイクツになってしまうでしょう。私だったら
「そんな永遠の命」はいりません。

さて
聖書ではこの時空世界を「この世」とか「地」と呼んでいます。
二つあわせて天地です。しかし「地に属する天」もあるので
要注意です。たとえば聖書で大空を天と呼ぶことが
あります。しかし大空はまだ「物」であり、時空世界内です。
(聖書はそんなに単純でもありません。注意深さがどうしても
必要です。)

せっかく人間に生まれたと言うのに、
時空内の小さな世界しか知らなかったとしたら、
それはとてもとても惜(お)しいことです。
(ところで、チンパンジーに霊はありませんよ)

★6:49
最近の値:
今日の朝は1・07マイクロシーベルト
12日は1・43と1・45
11日は1・21と1・43
(近所のイモクボ氏の計測)

今日は地下の棚(たな)二つ目の工事にかかります。

★19:48
二つ目のタナ工事は今日
土台部分が終わり、明日はネタの部分を
やります。こちらは連日、梅雨とは関係のない
爽やかな初夏が続いております。

★20:33
水質検査(放射性ヨウ素):
ここカリマンは検査したことはありませんが
ここより原発に近い、都路町古道地区ではこれまでの所、
検出されていないようです。(田村市の発表)

4 件のコメント:

鳩 さんのコメント...

確かに、聖書の語句使いは難しいですね。「天」という言葉も、また「聖」という言葉も、それぞれの文節で違う意味で使われていたりするので、文脈で理解しないと、単純ことを複雑に、深いものを表面的に、読んでしまいますね…。

確かにチンパンジーなどの動物には「霊」はないのですが、伝道者の書には、「動物の霊は地の下にくだり」という表記があり、「霊」が「本質」や「内面的実存」という、いわば「魂」を意味する言葉としても使われることを知らないと、混乱してしまいますしね。

それだけに、聖書の語っていることが明確にされるときの喜びは何物にも替え難いのですが…。

これも読む人の心が表れる、あばかれるための神の方法でしょうね。

Mr.Sugar さんのコメント...

有難う。

聖書の中身の性質が
天のもの、上のもの、霊のもの、永遠のもの
なので
私達にも
それと同じ性質が与えられて
それと同じ性質によって読むのでなければ

結局は一生懸命
寒暖計で重さを計ることに
なるのでしょうね。

Mr.Sugar さんのコメント...

また伝道の書3の21のご指摘も
感謝でした。

書いてくださったような理解でいいと
私も思っております。

最近私は少し大胆に、
霊とは「あなた中で最も深い所に存在する
あなたです。」
とも説明しています。なぜなら、そういうと
よく分かってくれる人が多いからです。

さてそうするならば
動物にも魂は確かにありますが、
彼の中の最も深い存在、
すなわちチンパンジーの魂を
記者が「霊」と書いたのだ、
と言う解釈も可能かも知れません。
伝道の書は何も論文ではないからです。

その他、
旧約に出てくる
人の霊と魂の関係についても
更に明確な光を得たいと願っております。

いずれにしろ、
聖書の「ある部分における意味」は
聖書全体の主張と矛盾するものであっては
ならないでしょう。

興味深いコメントを有難うございました。

鳩 さんのコメント...

>最近私は少し大胆に、霊とは「あなた中で最も深い所に存在するあなたです。」とも説明しています。なぜなら、そういうと
よく分かってくれる人が多いからです。


なるほど、それは伝わりやすいですね。
Ⅱコリ2:11に書いてあるとおりですし、とてもいい表現と思います。私もその説明を使わせていただきますね。