2011年5月5日木曜日

南デッキの修復

次に南デッキであるが、それは角(かど)部分でないから
三脚(さんきゃく)は使えない。
つり上げ(or押し広げ)にはどうしてもジャッキを使うしかない。

そのためには、ジャッキを安定的に置く台を作らねばならない。
これは相当の手間がかかり出来ればさけたい、と思っていた
のだが、フト「この前買ったサポートを地面にうめ込んで、
それにジャッキを置いたらどうか」と気がついた。結果的に、
これが実にうまく行ったのである。ジャッキもかなりな力が
出るものであると感心した。

①ジャッキでデッキを押し上げて少しの間隔(かんかく)余裕を作る。
②二枚重ねの「数メートルの重い2バイ8」をはずして
一枚ずつにする。
③一枚ずつを丸ノコでわずかに細くする。
④デッキと基礎の間に一枚ずつはさみこむ。
⑤わずかに生じたデッキとの隙間(すきま)は、後でクサビを
打ちこめばいい。

南西と南の二つのデッキの修復が、何とわずか半日あまりで
終わってしまったのである(5/3)。正に「案(あん)ずる
より生むが易(やす)し」であった。


さて突然・話題は変わりますが

どうして永遠に対して
今のような「時間・空間の時代」があるのでしょうか。

それは:
一点に凝縮(ぎょうしゅく)され、
隠(かく)されている「ある実在」を
引き出し、詳(くわ)しく見せるため、
ではないでしょうか。

なぜなら
「ある実在」とは、確定ずみの
「完全なイエスの勝利とサタンの滅び」のことですが
それは(十字架と復活という)①一点であると共に
②経過(けいか)や過程でもある、からだと思います。
(当然①と②は全く同質です)

即ち、十字架と復活そして御座という隠された永遠は
今度は時空の中においても、
総ての創られたもの達に対して
くわしく展覧されることを、
神は大いなる喜びとされるからでしょう。

それは
①一粒の小さな小さな金と
②それを広大な面積にまで押し広げた金の紙(金ぱく)
のようなものかも知れませんし、あるいは簡単に言って

①種と
②その萌芽(ほうが)、開花、結実
のようなものではないでしょうか。

私達が目にする一粒の種とは、
その後の莫大な時間と空間をさえ含むところの永遠
を指し示すための一つの絵なのかも知れません。

従って、私の中にまかれた「永遠の性質を持つ一粒の種」
(イエスの十字架と復活、御座を含む)も
「私の死」を経て初めて現れ、その中に含まれる永遠の真実を
この時間と空間の中に萌芽、開花、結実させるのです。

2 件のコメント:

ワッフル旦那 さんのコメント...

修理大変ですね。
でも、確実に進んでいる事を
読ませて頂けること感謝です。

多くの場合、下手に崩れているモノを
正しく収める事は、全く無いモノから作った方が楽な時が多いもの。
神がなぜ、全てを一掃して
完全に新しい創造をなさらないのか不思議に思った時期もありましたが、
主は途中であきらめて投げ出すことを
なさらないので、感謝です。
それで、私の様なモノでも平安が与えられているのです。ホサナです。

Mr.Sugar さんのコメント...

その通りです。
意地でもなんでもなく
あそう、と言う感じでこんな作業を
一人モクモクとやれる所が
やはり不思議ですよね。

根底に明確な楽しさがあることが
その証拠でしょう。

結論を言うとやはり、
「彼」次第なのですよ。

今度、あのハシゴ
使うことになりそうです。