2010年7月4日日曜日

部屋の真中に電柱が立っている

また 舞い戻って地下の客室をやっています。
今日は タタミを敷(し)けるでしょうか、
ちょっとムリかな。
部屋の形が「超いびつ」なので 
タタミをさまざまにカットしてから敷(し)く必要が
あるのです。

これは本当の話なのですが
この地下部屋のところどころに 
何と古電柱が立っているのです。このわけは
説明がめんどうなので今日は割愛(かつあい)しますが 
皆さんはこれをどう推理されるでしょうか。

タタミをカットしないとあの部屋にタタミは入らないのですが
要するに、素人(しろうと)が大工さんのマネごとをする
と言うことは、まーいろんなことをやるはめになる、 
と言うことなんですね。

さて
一階の客間が少し暗いので 東側の何もない壁に
明り取り用のフィックス(はめごろし)の窓
(90cm×60cm、寒冷地なのでペア・二重)
を入れたいと思っております、出来ればこの夏中に。
開閉可能な窓を作るのは結構めんどうでしょうが
フイックスならば 簡単でしかも 極めて安価に出来ます。
それは素材が ガラスでなくプラスチックだからです。
多分 窓枠も入れて全部で3000円くらいで済むでしょう。


突然ですが
人にとって最も大切なもの:
それはまず
「神のこころ」であると思っております。それは
「みこころ」と言ってもいいのですが
「みこころ」という使い古された言葉には
宗教がしみこんでいるように思います。だから私達は
ついウッカリ この超重要真理「神のこころ」を
何気なく通過させてしまうのではないでしょうか。
(新約聖書には非常に多く出てくる言葉なのに)

もう一つは「人の霊」です。
人の霊によらなければ 人は神のこころを
「真に知る」ことは決して出来ないでしょう。

更に付け加えます。
多分当時 大工としての主イエスの仕事も 
煩雑(はんざつ)でさまざまな筋肉労働、肉体労働を
含んでいたはずです。
要は 当時の大工は「何でも屋」なのです。人々のいろいろな
要求に応える「何でも屋」ほど大変な仕事はないでしょう。
(私のように 自分の好きなものをマイペースで作る
要するに「遊び」とはわけが違います。)

彼は 父ヨセフが若くして世を去った後、本業の他に
残された母に孝養を尽くし、妹、弟をかえりみるという 
極めて過酷な日常を送られていたと推察されます。

それゆえか
年齢的には30歳くらいの青年イエスに対し
「まだ50にもなっていないくせに」と悪口を
言った人がいます。多分イエスには
「この世がしたうような美しさ」はなかったことでしょう。

3 件のコメント:

電気屋 さんのコメント...

「人の霊」は「神のみこころ」を受信するチューナーのような働きをしますね。
霊は霊によってのみ何たるかを知らしめる。
時々、プリセットしたつもりがずれていて、ノイズくらいなら良いのですが、違った局(霊)の放送を受信しているなんて、笑えない話もあると思います。

確かに、当時のイエスは色白のヒョロ男では、なかったでしょうね。
大工といっても、石工の可能性もありますから、そちら系なら、なを、すごかったことでしょう。

「私達がしたうような美しさ」は善悪の木の実にあったものですから、人の目には、いのちの木の実より魅力的にみえるのでしょうね。
電柱のようなどっしりした存在感のイエスキリストいいんでないですか。

Mr.Sugar さんのコメント...
このコメントは投稿者によって削除されました。
Mr.Sugar さんのコメント...

既に その当時 少なくも 
40代に見られたそのイエスが ほどなく
永遠の昔から一つであった父なる神から
完全に遮断され、のみか
神に呪われる立場をも甘受さました。

そのボロボロの「醜いイエス」が 
人々の憎しみ・偽りと裏切り・卑怯に囲まれ
ただ一人ピラトの前に立たされた時、
彼はそのピラトを 愛のまなざしで
真っ直ぐに見つめられました。

イエスが最も美しかったのは
正にその時であったのかも知れない
と考えております。