2010年6月6日日曜日

神のみこころ(1)

イエスはただ「神のみこころ」に満足されました。
「神が彼を知っておられる」故に 彼はいかなる人の
反対にも悩まされることはありませんでした。彼は
神から与えられた制限を「喜んで」受けられたからです。

主は私達も ご自身のくびきを共に負い、主の制限を
受け入れ、肉の自由を求めないことを願われます。
そのようにして 私たちが ただみこころに従って
歩くように求められるのです。

そのようにする時
私達の感情ももはや 何ものによっても煩(わずら)わ
されたり、悩まされたりすることはないでしょう。

実はこれが十字架です。
もしもある人が「喜んで」主の十字架を受け入れ、主に完全に
服するなら、彼の感情は 何ものにも煩(わずら)わされることは
あり得ません。のみか、そこには必ず「満ち足りた」命と生活が
あります。神のみこころを得た故に、彼には他に何も求めるものが
全くないからです。

十字架とは 
神のみこころを喜んで受け入れることです。
(先人の言葉より)

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