2010年6月1日火曜日

黙示録は啓示録です

黙示録の主要部分は
神の手にある巻物の七つの封印を解(と)き、開くこと
で成り立っています。(5章)
「神の右手にある巻物」(1節)は永遠性のものであり、
黙示録は 巻物の開封によって その永遠のものを 
時空の中へと開いて見せるのです。

二千年前パレスチナの片隅(かたすみ)において
イエスの身の上に起こった出来事とその後の真の意味は
神の中に隠されており 容易(ようい)に誰も
その実態を把握(はあく)ことは出来ません。

ところが神の子羊が
その巻物を開くなら その膨大(ぼうだい)な紙面は 
時空へと無限に展開され、それによって
いやおうなしに 総ての被造物と世の人の姿の
詳細(しょうさい)があらわにされます。

言い換(か)えれば 
黙示録における時空という舞台上で展開される
それらの膨大な数にのぼる被造物達の「ふるまい」の一切は
総て、既にあの極めて小さい一点・キリストの隠された
御業・巻物の中に包含(ほうがん)されていたのです。

これ故 一言で言えば、黙示録とは
キリストの御業の中に既に存在していたものや
そこで達成された事の 時空への展開・展覧、
啓示(REVELATION)に過ぎない、と言う事が出来ます。

従って
私達が先ずは「二千年前に起こった」
「キリストのあの御業そのもの」に
格別な注意をはらわなければならない
のは当然のことと言えるでしょう。



昨日 小屋に戻りました。今小屋は 
完全に「緑の海の中」です。

2 件のコメント:

O さんのコメント...

Revelation(啓示録)を読んで、ただ災害に目がとまるのではなく、イエス・キリストの様々な側面と次のみことば「御霊も花嫁も言う。『来てください。』これを聞く者は、『来てください。』と言いなさい。渇くものは来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。」(22:17)という個所にいつも目を留めていけたらと思います。

Mr.Sugar さんのコメント...

全くその通りだと思います。

啓示録を読んでさえ 私達は
キリスト御自身と彼の御業の完全性と
絶対的な勝利を知り、
神を賛美するべきです。

人が黙示録を研究して
単に「災害の予知におびえる」ことは
決して神の意図でないことは
明らかです。