2010年4月8日木曜日

救いを「経験する」ということ

「私の中にある敵の要塞(ようさい)」
が今の私の一つのテーマです。その意味は・・
いまだに私の中には かねてから(未信者時代からさえ)
敵が占拠(せんきょ)し「そこを神に奪われないように」と
神の敵が死守している「古い場所」がある、と言うことです。
その場所、敵の要塞こそ私の「思い」です。

真のキリスト者であるならば、その人は当然 永遠にそして
完全に救われています。しかし、経験的に言って この時空の中に
おいては「私の思い」はまだ完全に救われているとは言えません。

なぜならば今日 私の思いは 聖霊への完全な服従の中で機能(きのう)
しているのではなく、勝手に良からぬことを思い、想像し、推論している
からです。それは私の中の大きな不法と混乱であり、無秩序です。

そこでは確かに敵が私を占有しているのです。ですから思いに関する限り
神の国(神の支配の領域)は私の中にまだ十分には到達していない、
と言わなければなりません。ですから真の問題は「よからぬ思いが出てくる」
などに留まらず 問題は 私の中の混沌(こんとん)と無秩序であり 敢えて
言えば「神への反逆」です。これは今現在の宇宙の縮図と言えるでしょう。

私の思いが 私の意志と聖霊に完全に服従し 思いが正常に機能する
ためには 思いが古い占有から全く新たに自由にされる必要がある と
エペソ書は言います(4の23)。聖められた私の意志に完全に服する
私の魂と体が存在して初めて 私はこの時空の中においても
完全な神からの救いを「経験している」と言えるのです。

今日 経験的に私達はコリント書にある「私達の戦いの武器」の
使用法の詳細を日常生活のレベルで知り 敵の要塞を
実際的に打ち破らなければなりません。(Ⅱコリント10の3~6)

私達は「このすばらしい永遠の救い」が「与えられた」or「持っている」
に留(とど)まらず、その救いを この時空とこの私の体の中で
十分に経験する必要があるのです。それこそ、今私達が敢えて
「この時間と肉体の中に」置かれている理由です。
「今の時(今という時間の時代)を生かして用いなさい。」
エペソ5の16(口語訳)





 

2 件のコメント:

Luke さんのコメント...

この時期に花粉症ですか。私はひたすら閉じこもっていたので、けっこう軽かったのですが。でも、まだ外をジョッギングする気にはなれません。

「敵の要塞」ですね。神に敵対する私の思いの内なる「何か」。これは地上の生活が続く限りの課題なのでしょうね。

Mr.Sugar さんのコメント...

いまどきねー。

今私は「思いへの敵の占拠」を
一つ一つ調べ
対策をこうじなければ
と思っております。
それは
具体的に実践する必要がありそうです。