2010年1月24日日曜日

神の評価の基準

あなたは今 
ある「現実」を目の前にしています。

しかし今あなたが困惑している 
その山のように見える「現実」は これから100年も続く
のでしょうか、それはこれから 全く変化しないのでしょうか。
それは永久不変なのでしょうか。 

また今 あなたが喜んでいるその現実は
あなたが いつまでも握りしめていることが出来るもの 
なのでしょうか。間もなく明日にでもそこに フト
「回転の影」のようなものが表れないでしょうか。

また以上二種類の現実には 
この世の悪の影響と侵入が全くない と言えるでしょうか。
この世の死の力の混入によって それは本来 ほどなく腐敗腐食し 
遂には崩壊して行かざるを得ないもの なのではないでしょうか。

さて神は その両者とも、即ち 
そのような二つの「現実」とも「価値」とは認められず、
何と総て「無価値」と断定されます。
何故なら、神は不変、永遠、不死、無変質、即ち
神ご自身の性質と存在のみを 価値ありと評価されるからです。

即ち 神が存在するように存在するもの、
「ミスター BE」即ち「私は在る」という存在のみを 
唯一存在として認められ そのような存在と性質のみを
神は価値ありと評価されるのです。

冒頭の二者は 
確かに私達の目にはリアルこの上ない「現実」ではありますが、
今 永久不変、無腐敗である神の存在と性質と比べるならば、
その一つの小さな要素、その存在する時間の長さだけを取って見ても、
(永遠とは どこまでも長く長く存続するものなのですから)
限りなく瞬間に、否 ゼロや無に近づくわけです。

従って神は 現実に「真の存在」を「極めて間近に」ご覧になっている
以上どうしても「瞬間や無やゼロ」を価値と見なすわけには行かないのです。
敢えて言えば 神の目には それらは「現実」とさえ写らないのです。

ましてやその性質に着目し 
悪の要素や腐敗や死の要素が少しでも混入されているのであれば 
全く言うに及ばずです。それらが 完全な義であり、
聖であられる神によって評価されることなどあり得ません。

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