2010年1月20日水曜日

御名をみだりに唱えてはならない(3)

出エジプト記20章の1節から7節は 一つの段落であり、
「人の神に対する直接的なあり方」に関する戒めです。
この段落はそれに続く総ての戒めの土台となるものでしょう。

そして その段落での強調は
「人は 神を単一に愛すべし」というものでした。
もし人がその一点をおろそかにするならば、他の総ての
戒めは あまり意味をなさないものとなるでしょう。

それでは 7節は一体何であるか と言うと 
もし人が神を単一に愛さなかった場合に
「人が自然に陥るであろう状態」を描写していると思われます。即ち
それは、人がもし神を単一に愛さないならば、どうしても 神との正常な
関係から逸脱した主の御名の用い方をしてしまう、と言うことです。

彼は 主の御名の中で生活し、主の御名で祈り また主の御名を
崇め、主の御名を呼んでいるように見えますが、いかんせん 
彼と主の御名・即ち「主御自身」との間に 
ある種のズレ、隔離 一致しない何かが生じてしまうのです。

従って彼は「神のための行動」において 
とても熱心に 的に向かって矢を射っているようですが
「何故か」いつもその中心をはずしてしまうのです。

従って7節は決して 一つだけ唐突に突き出た戒めではなく、
あくまでも「人は 神を単一に愛すべきである」という戒めの
延長、或いは警告と取るべきであろうと思われます。



今日は暖かな朝です。雪もだいぶ解けてしまいました。
今日あたり、ピアノ室の大きなガラスの二重窓用のサッシが
メーカーから郡山のジョイフル山新に届くはずです。電話があれば
早速 駆けつけるつもりでいるのです。もちろんサッシの
組み立ては私がしなければなりません。
小屋から郡山まで 片道 一時間以上かかります。  

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