2009年9月27日日曜日

配給事件とステパノ事件(3)

「ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は
フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行った。・・・
主の御手が彼らと共にあったので、大勢の人が信じて
主に立ち返った。」(11の19、21)

神の意図したエクレシアのあるべき姿は 安定、固定的、そして
エルサレム的ではなく、流動的、拡散的です。聖書と他の記録を
見るとき、人の根強い固定願望に対抗して 神は破壊的とさえ
見える方法を用いて、その御こころを現されたことを見ます。

ここで間単に ステパノ事件が 神によってどう用いられたのかを
箇条書きにします。
①普通のキリスト者の脱エルサレム、流動的、拡散的生活によって、
神のことばの大いなる前進を見た、
②その結果、エルサレムから遠く離れた異邦の地、アンテオケが
更なる脱エルサレム、拡散の基点とされた、
③パウロに対して極めて甚大な影響を与えた、
④パウロの伝道は 普通のキリスト者こそ主役であることを知らしめ、
彼らをして脱エルサレム的、脱ユダヤ教、脱この世、そして流動的、
拡散的にさせることであった

パウロの死後、数年を待たずして、エルサレムは町も人も徹底的に破壊
尽くされ、キリスト者のみならず、ユダヤ人でさえ、総てエルサレムから
追放され 世界中に拡散されることを神は敢えて許されました。

人の切望はこの世に根付くこと、固定、安定です。
しかし神は人を地に安住させません。キリスト者ならずとも 
わずか100年間 自分をこの世に固定することさえ至難の業です。

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