2009年8月16日日曜日

よき感覚を回復するための祈り

*感覚の生活(8)

このような祈りには効果がありません。
かつての素晴らしい感覚を取り戻すための祈りは 彼が失ったと
思っているものを回復できません。

それどころか、彼は日に日に冷たく、干からびてさえ行きます。
彼は何を行っても楽しくありません。ある場合には 自分の行動は
無味乾燥に思えます。

祈りでさえ仕方なしにやっているようなものです。以前の彼は 数時間でも
祈ることが出来ました。今は数分間祈るだけでも大変です。感覚の上では 
それは全く祈りと言えるものではありません。

聖書は読むのですが、潤される感覚がありません。以前は、聖書を読めば
読むほど、ますます楽しくなりました。今は、石だらけの不毛の地に
いるように思います。

彼は人に会っても 何が起こっても楽しくありません。
自分はキリスト者であるので、なすべきことは何とか行うのですが、
総てのことは無味乾燥で、何か無理があるのです。


素晴らしい感覚に満ちた生活→ それを失った時のキリスト者の反応、
即ち、以前の感覚を回復しようとする試み。
それではその後 多くのキリスト者はどういう経過をたどる
のでしょうか。(当然これらは一般的な傾向に過ぎないのですが)

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