2009年8月11日火曜日

感覚の生活(3)

そのような感覚の生活をするキリスト者は、主を非常に近く感じ、あたかも
主に触れることが出来るかのようです。彼は主の愛をとても甘く感じます。
また彼は 自分は主を非常に愛している と感じます。心に火が燃えている
ようであり、あたかも天にいるかのように 言い尽くせない幸いを享受
します。感動があります。それは言葉に尽くせない楽しい感覚であり、彼は
まるで最も貴重な宝を得たかのように思います。

このような感覚は彼がどこへ行っても、何をしても彼と共にあります。
彼がそのような経験を通る時、彼は自分がどこにいるのかも分からない
かのようです。この世から遠く離れ、御使いと共にいるかのように
彼には感じられるのです。

そのような時、彼にとって聖書を読むのは非常に楽しいことです。読めば 
読むほど、幸いな感覚が増し加わります。祈りも容易になります。彼は主に
向かって思い切りその喜ばしい感覚を言い表します。そして祈れば祈るほど
天の光が益々明るく輝きます。また彼は主を愛するが故に 主に対して
多くの決心を表明するのです。(先人の言葉より)

0 件のコメント: