2009年8月9日日曜日

一つのことに気をつける(4)

人の魂は大まかに言って、思い、感情、意志から成っています。
その三者の中の一つ キリスト者の感情の問題を大別するならば、それは 
①愛情、②欲望、③感覚に関わる三つ問題に分かれると言えるでしょう。
その中で今「愛情の問題」について一つの結論に近づきつつあります。

愛情の問題において基本的に大切なことは、私達は自分発の愛情を
100パーセント神にささげなければならない、と言うことです。
私達が誰かを手放すことに困難を感じている時は、私達の「魂の命」
がまだ私全体を支配していることを知らなければなりません。

もし私達の愛が いかなる面においても「神の御こころ」に服すること
が出来ないなら 必ずそこに 非常に多くの「霊的でない事柄」即ち
「人の魂起源の事柄」が混入して来ているのです。

「魂からの愛」は いずれ私達を「この世と罪」に誘うことになります。
もし私達の愛情が「主から出ていない」のなら、遅かれ早かれ、
それは情欲に変わります。

このようなことで失敗した人は、昔から現在に至るまで あらゆる所に
存在し、何もサムソンに限ったことではありません。今日もデリラは、
至る所で人々の髪の毛を剃り続けているのです。

ところが、既に述べたことですが、信者が自分の愛の事柄を完全に
主にささげることは非常に難しいのです。

ですから 自分の手の中の愛情総てを主の足元に投げ出すことは、
真に霊的であることのしるしです。信者がどれぐらい あらゆる
「人の愛情」に対して死に、そして「愛を求めること」に死んでいるか、
それはどのぐらい霊的であるか を示すものです。魂の命に対する真の
死は「神を愛する愛以外の私の愛」を総て放棄することに見られます。

「霊の人」は何と超越していることでしょう。
彼は「人の愛」を超越して歩んでいるのです。
(先人の言葉より)

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