2009年5月28日木曜日

ある誤解

*神の御心のままに(2)*

私達の得た命は基本的に「神の御心に従って歩むように」と
私達に要求する命です。

私達が神の御心通りに歩めば歩むほど、内側に益々喜びと自由がある
ようになります。また、そのようにすれば神の御前に歩む道が更に
スッキリと真っ直ぐになって行きます。

もし、逆にかつてのように、自分の意志に従って行動するなら、
不思議なことに、楽しくないだけでなく、道はややこしくなり、
かえって人は苦しむことになります。何と自分の意志のままを行えば
行うほど苦しくなり、喜びが失われてしまうのです。

しかし、新しい命に従って行動すればするほど、神の御心通りに
行えば行うほど、それは決して「きゅうくつ」ではなく、逆に
更に平安になり、確かな喜びが到来するのです。
これは実に不思議な事実であると言わなければなりません。

よくあるように、
あなたは決して「自分の意のままを行えば、幸福になり、きっと
自由で楽しい人生を送れるに違いない」等と誤解してはなりません。
それは極めて大きな誤解です。

その反対に、主を信じた後、自分の意志に従うのではなく、神の御心に
従うこと、神の御心通りを行うことを「真剣に学ぶ」ならば、その道は
平安と喜びの道であることがよく分かるでしょう。キリスト者の真の
喜びは、①神の御心通りに行うこと、②自分の意志に従って行わないこと、
この二つ(一つ?)にあるのです。これはとてもハッキリした事実です。

1 件のコメント:

千葉のM さんのコメント...

神のみこころの中で多くのクリスチャンが誤解や遠慮していることがあります。それは憤り、嫌悪感、怒りです。このような思いはクリスチャンにとってよろしくないという観念、道徳観が強くあるのではないでしょうか。しかし神のみこころの中には、この嫌悪感、憤り、怒りはあります。サタンへの嫌悪感、憤り、怒りを我々は祈りを通して主の前にもっと明確に表わすべきです。神はなぜこの世に人を創造したのでしょうか?神は天使を創造した時、彼らに自由意志を与えました。そしてルシファは神への反逆心から堕落し、この世支配しています。その後神は人を創造しました。そしてまた神は人に同じ自由意志を与えました。この自由意志がサタンではなく、自己でもなく、神のみこころを選択すること、ここに大きな淵があります。深遠な選択です。