2009年5月21日木曜日

三つのブログから

この教会はキリストの体、すべてのものをすべてものの中に
満たす方の充満である。(エペソ1章3節、22節、23節)

「充満」とは:
時間的要素は全く無く、諸々の存在がキリストを中心に
1つ1つ有機的に結合されて内容的に豊かな大宇宙を
形成していく様の表現。(岩波訳の注解より)


人間の指揮によってではなく、頭なるキリストの指揮によって
「群れる」のであるならば、それを神の言葉は
「すべてのものを、すべてのもののなかに満たす方の豊満」
であると言う。

頭としてのキリストが、
アリアリと(有り有りと)、エクレシアとしての体、即ち
「信仰に堅く立つ天的な群れ」を通して、ご自身を顕現なさり、
更に、ご自身を1人1人の召された者たちの中に
拡大し続けて行くのである。

目に見える事柄が解決されれば、確かにそれは良き事には
違いないが、地上的な事柄を越えて「天的な復活の領域の何ものか」
によって祝福され、人は初めてキリストを慕い続けることができる
のだと思う。

・・その事のために人の作る柵はいらない。
箱庭のような「教会」はいらない。必要なのは「地に散らばっている
霊の子どもたち、を治めているのは、頭なるキリスト御自身である」
という信仰だ。
もしそれがあるなら、聖霊は私たちを、いつも「豊かな牧草地」に
導いてくださるに違いないのだから。

☆              
やはり鍵は、「それら」とは一切関係ない
素朴な兄弟姉妹たちの交わりですね。
今「まことの頭」に直結する兄弟姉妹たちが起こされつつあることは
大いなる励ましです。単純・素朴・ただキリストのみ・・・。

☆              
キリストの「からだ」が受ける苦しみ、病、深刻な問題、逆境 
これら一つ一つは、神の民の中で、
「キリストが大きくされる」ためにこそ、備えられたものでしょう、
わたしたちは、恵みへと至る確かな道を獲得しているのですから。 

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