2009年5月8日金曜日

二つの意志の対峙と人の意志

*真理は悲しみに打ち勝つ3*

世界(時空、特に地上)には明確に二つの意志が働いています。
一つは神の意志であり、他は神の敵の意志です。

神の意志はただ聖霊によって人に伝達されます。更に言えば
聖霊の意志は、聖書の真理と人の環境を介して、先ずはただ
人の霊にだけ伝達されるのです。方や、神の敵の意志は人の
環境を介して、人の霊以外の総ての器官(魂と体の)に伝達される、
と言ってもよいでしょう。

従って神の敵が人を偽る領域は、神が人に真理を伝達する領域に比べる
ならば、相当広いと言えるのです。その状況の故、私達はひたすら、
「聖霊と人の霊」に注意を集中しなければならないのです。

神が人の思いや感情、ましてや体に、直接御心を伝えることは決してあり得
ません。もしも思いや感情そして体に、ある「霊的、超自然的な」興奮を
覚えるとするならば、それらの興奮の起源は聖霊ではない別の霊から
であると知るべきです。キリスト教社会においてこの類の誤解と実行は
今日広く行き渡っており、その度合いは今後必ず増大し続けること
でしょう。この点については今後多くの言及が必要であると思われます。

次に、神の意志は真理で構成されている、に対して、
今日年を経たヘビ(偽る者の意)の意志は、極みに至るまでに巧みな
虚偽で構成されています。実に彼が本音を語るとき、それはそのまま
ウソとなるのです。イエスも言われました。「悪魔(誘惑する者の意)は
初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼の内には真理は無い
からです。彼が偽りを言う時には、自分の持っているものから語るのです。」
(原文、ヨハネ8の44)彼にはただの一個の真理さえありません。

どうか覚えて下さい、神の真理と矛盾するサタンの構築したもの、
の一切、私達の眼前に展開されている、実にリアル感覚に溢れた情景は
総て完全に100%虚偽のみで構成されているのです!


さて、以上の二つの意志の中間に人の意志があります。ここで仮に
神の意志は既に発動したとします。そうする時、直ちに、
第三の独立した意志、即ち私達人の意志は立ち上がり、
神の意志を断固選択しなければなりません。

さて、ここで強調されねばならないことは、人の意志の発動に際して、
「神は手出しが出来ない」という事です。何故なら、神は人に自由意志を
既に与えてしまったからです。これは実に大きなポイントです。
神は、エバがあの二本の木の間で迷い、そして遂に「自分の意志で」・・

( と言うよりは、エバはその時、怠惰な優柔不断の中で、
ある感覚の誘導に応じて、言わばウス笑いを浮かべながら、いい加減に
彼女の身をその場の雰囲気に委ねた、と言うのが実情だったでしょう。
にもかかわらず、それでも彼女はその時「極めて重大な運命」を選び取る
と言う決定的な誤りを犯してしまった、と言わざるを得ないのです。
余談ですが、総ての発端は、エバが誘惑者の問いかけに応じて、つい
うっかり、ある反応を示してしまったことでした。そこに、神のことば
即ち真理に対する彼女の認識の軽さが現れ出た、と言えましょう。)

・・エバが「自分の意志で」
知識の木の実を取ろうとして行動を起こした時でさえ、神はエバの
為に天使を送って、彼女を阻止しようとはなさらなかったのです。
何故なら既に神は、真理の伝達によって御自身の意志を人に明確に
語り済みであったからです。実に人は神の意志を退ける主権をさえ、
神によって与えられている、と言えるのです。神がその時点で
人を助けることはあり得ません。従って正に人の意志こそ、
その人の総てを握っている、と言えるのです。

所が、創世記でエバの前で働く悪魔であるヘビの姿を見る時、彼は充分な
手出しが出来るように見えます。何故なら敵は、エバの持つ広範囲な
感覚器官の総てに対して、時間をかけ「ねんごろに」誘惑の手を伸ばす
ことが出来たからです。(彼女の思い、感情、美的感覚、食欲等に、
即ち人の体と魂の知覚総てに。)


次にその二つの意志の意図とは何でしょうか。それは、
先ず神の意図は、人の中に永遠の命と真理を入れ込むことによって、
神と人との一つを実現すること(一の原則)であり、敵の意図は、
神の命から人を隔絶し(それが死の機能です)ウソと言う毒を人に
注入することによって、世界に「二の原則」即ち「対立の原則」を
創設することだったのです。それ故、今日この世界に
一の現象はとても少なく、一方、対立の現象は、
この地上の至る所に満ち満ちているのです。

0 件のコメント: