*あるメールから*
父がICUに入ってから一週間がたった頃から、
天に召されるのだなという覚悟ができてきた。
もう頭も身体も疲れていて、
毎日 その日が過ぎていくにまかせていた。
父も昏睡状態に入り
声をかけても、応答できなくなっていた。
召される2日前だった。
眠っている父に、「お父さん、お父さんの好きな
『人生の海の嵐に』を歌おうね。」と語りかけたら
ピクッと眉毛が動いた。
父の耳元で静かに歌い、
「さあ、『主の祈り』を祈ろうね。」と続けて言うと、
私の声にあわせて、まるで祈りの言葉をかみ締めるかのように
ユックリ、ユックリと首を振っている。
私自身、心も身体も限界に来ていた。
それまで反応が無かった父が、賛美と祈りに応答したことが
慰めであり、天で再び会えることが希望であった。
*
あれから7年が過ぎようとしている。
かってアンドリュー・マーレーの「キリストの御霊」を読んだ時
人間的なものからいっさい解放された、
霊とまことの礼拝について書かれている箇所を読み、
そうありたいと願い続けてきた。
7年前、あの惨めさの極限を超え、肉体、魂の力がつきはてた時、
父は主に向かい、ただ主だけを礼拝していたのだ、
と気がついたのは、ごく最近のことだ。
気がついた時、ただただ泣いた。声を上げて泣いた。
頬をつたう涙は、温かかった。
慰め主なるお方を、ほめたたえる。
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたまえ
御心の天になるごとく
地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を 今日もあたえたまえ
我らに罪をおかす者を 我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり (主の祈り)
確かに人には「霊」がある。
信じる者には、キリストが内に住んでくださる。
そして、主との豊かな交わりが持てる。
慰めてくださるお方が、共にいてくださる。
☆
Sugar:
有難う、更に慰めを得ました。
今はもう、
総てを後にする時であると、感じさせられております。
0 件のコメント:
コメントを投稿