2009年4月15日水曜日

第三歩目で皆こけた

一歩目は再生、新生です。
聖霊が人の霊を生かし、彼を神の国の中に誕生させます。
これは完全に聖霊の働きでありその時、神と天使、そして人も
大いに喜びます。この段階においては「人のもの」が介入する
余地は皆無と言っていいでしょう。

二歩目は、小さな交わりです。一人の真に新生したキリスト者は
必ず他の新生したキリスト者との触れ合いを慕います。(そうでなければ、
その「クリスチャン」は偽者です。)それは、同じ父から生まれた
神の子供としての、自然な「命の成り行き」であるからです。だから彼は
他の同じ命を受けた少数の兄弟と「交わらない」わけには行かないのです。
この第二歩目・二人、三人の交わりも純粋に聖霊からのものです。

この現象は例えば、今「硬直した組織」の中にいるキリスト者であっても 
偶然出会った他のキリスト者と図らずも小さな交わりを
交わす時などに容易に感知出来るものです。
何故ならその時、彼らがそこで楽しんでいるのは、その純粋な交わり
そのものであるからです。彼らはその時、彼らの「とても難しい背景」を
総て忘れ、ただ「交わりそのもの」を楽しんでいるのです。
これは何と素晴らしいことでしょう。
(しかし仮にそこで、一方のキリスト者がひそかに「ある意図」を抱く
場合、その純粋な交わりは直ちに破壊されるでしょう)

このように一歩目、二歩目においては何の問題もありません。
何故なら、繰り返しますが、この第二歩目までは神を源とする生命現象
そのものであるからであり、その交わりの主導者は聖霊であるからです。
第二歩目までの命の現象「誕生と交わり」は完全に「神のもの」です。


それではこれから第三歩目を見て行きましょう。
さてここで仮に、第二歩目までに現れた小さな純粋な交わりが
ある地域に6、7個 現れたとします。
その時 人はどんな反応を示すのでしょうか。

結論から言ってしまえば、人は「その反応」の結果、必ず
この三歩目で「こける」のです。第一歩と二歩目でこけることは
むしろ難しいことでしょう。しかしながら、第三歩目となると
何故か人は実にたやすくこけるのです。

これは何故なのでしょう。
何故なら人がその6、7個の第二歩現象に接するとき、そこに
「人のもの」が巧妙に「入り込まざるを得ない」からです。
悲しいかな、その「人のもの」を完全に防御するのは至難の業である、
と言ってもよいでしょう。だからこの二千年間、どんなに優れた
キリスト者のリーダーであったとしても 
(彼らの総て、と言っても良いかも知れない)
この第三歩目で皆こけたのです。


☆私情報
千葉の八千代市で一人暮らしを始めた
次男のジュン(精神障害を持つ)がこのところ
不安定な状況に陥り、私はいまだに実家におります。
何らかの対応が必要になるかも知れません。
皆様の祈りに覚えていただければとても幸いです。

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