お久しぶりです。時々ブログを読んでいます。
「難しい??」と思うのがぽつりぽつり...なんて最初は思ったのですが、
ある時から、あっ、読める!!となったのです。分かったとはまだ
言えないけれども、私なりに「うんうんなるほど」と読めるのです。
励まされたもの、何度でも読みたいものは、ワードの方にちょっと
コピーしてゆっくりと読み...楽しませていただいてます。
読んだ中で一番心にしみほっとしたのは、2007.10.20の
「何故なら..」と書いてあるところでした。クリスチャンは素敵、
そして(^^)素敵な神様です(^^)。
8月から家庭の中で、いろいろ、いろいろと起こり、その度に
主が私の中で生きる、と言いたい所ですが実は、死んだはずの古い私、
私の亡霊が暴れ、漂よい...ヒステリーを起こし、また鬱が続きました。
そんな中、先週新聞記事で非定型ウツ病というのの存在を知り、
ヤフーのネットで調べたら、自分のあれこれに怖いぐらい
ぴったり当てはまっていました。
イザヤ43:18-19に「過ぎ去ったことを思い出すな。過去のことを
思い出すな。見よ、私は新しいことをする。」とありました。
主が「新しいこれから」を用意して下さるのです。
「主よ、信じます!」今はまだはっきりしていないけれども、焦らず、
「主のことを知り、主に信頼する、主に生きていただくこと」に集中する訓練
をして行こうと今改めて思っています。
今主と出会えていてやっぱりよかった、と感じます。
自己判断せず病院に行くべきなのかな...と思ったりもしている
のですが.. 「必要ならばいい医師に会わせて下さい」と祈りつつです。
鬱々した気持ちが 沸いてくる時は、「サタンよ去れ!!」
と始めている今日この頃です。
☆
「主が新しいこれからを用意して下さる・・ 主よ、信じます。
・・必要ならばいい医師に会わせて下さい」と言うあなたの言葉に
アーメンです。
この度、楊姉妹が強調されたことの一つが次のことです。
1.ことあるごとに主に聞くこと。それは大きな事件が
起こったときだけでなく、
日常のささいな出来事においてもです。
2.実の所、御こころをキリスト者に示すことは主の切なる願いなのです。
ですから、私たちが主の御旨を知ろうとしてヤキモキする必要など
ありません。それは主の役割です!従ってあなたがなすべき唯一の
ことはあなたの発想から事を始めることをやめ、事ごとに主に聞く事です。
3.そして真に主に聞くときに、主は必ず応えられると信じ、主の応えを
待つことが大切です。なぜなら、聞くと即刻応えられるとは
限らないからです。しかし主は必ず応えられると信じるのです。
4.そして主から反応があり、こうするようにと言うある具体的な指示が
与えられたなら決して「何故そうしなければならないの?」などと理屈を
言わずに単純にその主の指示に従うのです。これは聖書に示されている
原則です。ヨハネ2章に出てくる「水をくんだ手伝いの者達」も つべこべ
言わず単純に御言葉に従いました。その前に、マリヤは少し理屈を言った
のですが、イエスは神である と示され主に信頼しました。
これらの単純な人々の単純な信仰が この「最初のしるし」を通して
主の栄光を地上にもたらすことが出来たのです。
*
楊姉妹の若かりし頃、彼女の尊敬する姉妹が上に述べたような信仰を
持っておられたのだそうです。しかしその当時、楊姉妹自身は「それは
私には出来ないこと」と思っていたのです。
しかしある日、楊姉妹は決然として次の様に主に祈ったのだそうです。
「主よ私もこれからあなたの御旨を知ることを求めます。そして
求めるならば必ずあなたは私にさえ応えられると信じます」と。
その日から彼女の生活は一変したのです。何故なら
その日を堺に 今日に至るまで、主は彼女の信仰に
明確に応え続けられて来たからです。
この度の山小屋滞在の間、私達は少しですが、姉妹のその様な実際に
接することが出来ました。ある些細と見える出来事を通し、主が彼女の
「些細と見える祈り」に忠実に応えられた出来事を
私達も共に目撃することが出来たのです。
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