2008年10月15日水曜日

あるメールから(6)

お久しぶりです。時々ブログを読んでいます。
「難しい??」と思うのがぽつりぽつり...なんて最初は思ったのですが、
ある時から、あっ、読める!!となったのです。分かったとはまだ
言えないけれども、私なりに「うんうんなるほど」と読めるのです。
励まされたもの、何度でも読みたいものは、ワードの方にちょっと
コピーしてゆっくりと読み...楽しませていただいてます。

読んだ中で一番心にしみほっとしたのは、2007.10.20の 
「何故なら..」と書いてあるところでした。クリスチャンは素敵、
そして(^^)素敵な神様です(^^)。
 
8月から家庭の中で、いろいろ、いろいろと起こり、その度に
主が私の中で生きる、と言いたい所ですが実は、死んだはずの古い私、
私の亡霊が暴れ、漂よい...ヒステリーを起こし、また鬱が続きました。
そんな中、先週新聞記事で非定型ウツ病というのの存在を知り、
ヤフーのネットで調べたら、自分のあれこれに怖いぐらい
ぴったり当てはまっていました。
 
イザヤ43:18-19に「過ぎ去ったことを思い出すな。過去のことを
思い出すな。見よ、私は新しいことをする。」とありました。
主が「新しいこれから」を用意して下さるのです。
「主よ、信じます!」今はまだはっきりしていないけれども、焦らず、
「主のことを知り、主に信頼する、主に生きていただくこと」に集中する訓練
をして行こうと今改めて思っています。
今主と出会えていてやっぱりよかった、と感じます。

自己判断せず病院に行くべきなのかな...と思ったりもしている
のですが.. 「必要ならばいい医師に会わせて下さい」と祈りつつです。
鬱々した気持ちが 沸いてくる時は、「サタンよ去れ!!」
と始めている今日この頃です。


「主が新しいこれからを用意して下さる・・ 主よ、信じます。
・・必要ならばいい医師に会わせて下さい」と言うあなたの言葉に
アーメンです。

この度、楊姉妹が強調されたことの一つが次のことです。
1.ことあるごとに主に聞くこと。それは大きな事件が
起こったときだけでなく、
日常のささいな出来事においてもです。

2.実の所、御こころをキリスト者に示すことは主の切なる願いなのです。
ですから、私たちが主の御旨を知ろうとしてヤキモキする必要など
ありません。それは主の役割です!従ってあなたがなすべき唯一の
ことはあなたの発想から事を始めることをやめ、事ごとに主に聞く事です。

3.そして真に主に聞くときに、主は必ず応えられると信じ、主の応えを
待つことが大切です。なぜなら、聞くと即刻応えられるとは
限らないからです。しかし主は必ず応えられると信じるのです。

4.そして主から反応があり、こうするようにと言うある具体的な指示が
与えられたなら決して「何故そうしなければならないの?」などと理屈を
言わずに単純にその主の指示に従うのです。これは聖書に示されている
原則です。ヨハネ2章に出てくる「水をくんだ手伝いの者達」も つべこべ
言わず単純に御言葉に従いました。その前に、マリヤは少し理屈を言った
のですが、イエスは神である と示され主に信頼しました。
これらの単純な人々の単純な信仰が この「最初のしるし」を通して
主の栄光を地上にもたらすことが出来たのです。


楊姉妹の若かりし頃、彼女の尊敬する姉妹が上に述べたような信仰を
持っておられたのだそうです。しかしその当時、楊姉妹自身は「それは
私には出来ないこと」と思っていたのです。

しかしある日、楊姉妹は決然として次の様に主に祈ったのだそうです。
「主よ私もこれからあなたの御旨を知ることを求めます。そして
求めるならば必ずあなたは私にさえ応えられると信じます」と。
その日から彼女の生活は一変したのです。何故なら
その日を堺に 今日に至るまで、主は彼女の信仰に
明確に応え続けられて来たからです。

この度の山小屋滞在の間、私達は少しですが、姉妹のその様な実際に
接することが出来ました。ある些細と見える出来事を通し、主が彼女の
「些細と見える祈り」に忠実に応えられた出来事を
私達も共に目撃することが出来たのです。

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