2008年5月9日金曜日

集まりのための基礎知識

 *永遠と時空の関係がキー*


①先ず源として神の愛があります。
②その愛の対象は人・人間性です。
③愛とは相手との一つを願うものです。だから 万難を排して
神は人との一つに向かわれたのです。
人との一つ、確かにそれが神の目的です。

④神はその目的に向かわれたのですが、しかし同時に彼御自身の
義の要求の故に 父は御子を木に釘付けなければなりませんでした。
それにしても これは何という神の実行でしょう!
しかし このキリストの死の時点において 贖いのための 
キリストと人との結合が 永遠において完成したのです。
またこの時点における神と人の結合は
次の⑤における積極面の為の結合の準備ともなったのです。 
ただこれは「キリストの中の神の永遠の領域における真理」です。

⑤次に復活があります。これは「死の粉砕」であり、
死の力を持つ神の敵に対する完全な勝利です。
しかし更に復活は積極面において 無制限のキリストが人の中へと
入られ、また人がキリストの中へと入ったと言う
永遠の「神の側の真理」をも意味するのです。復活は
永遠の領域において、神と人の1つが成就された
「宇宙最大級の事件」であったのです。

その上に立って今度は 人がキリストの復活を信じる時 その人の
時空の中に「彼がキリストと真に一つとされたと言う真理」が初めて
言わば「降りて来る」と言えるのです。言い換えれば、キリストを
真に信じる時 彼はこの永遠の神の真理が時空の中においても
正に事実であると実証することになります。

⑥更に言えば、復活に続きキリストの昇天と御座があります。
これによって敵に対する キリストとキリストの中にいる人々の
圧倒的な権威が確保されたのです。


以上が既に完成された神の御業のおおよそです。
繰り返しますが これらは総て「キリストの中の永遠に属する真理
(真のリアリティ)」です。従って人はこれらの真理を個人的に求め、
啓示によって知り、そしてキリストの中へと信じ入り、
キリストと実際的に一つに結合されなければなりません。

そうでなければ、即ちあなたがキリストの外にあるならば、
これらの真理は引き続きあなたとは全く無縁です。
なぜならあなたは未だにキリストの外、即ち神の敵の領域である
古きアダムの中にいるからです。アダムの中に真理はありません。
真理とはキリストそのものであり、真理はキリストの中以外の
ところには絶対にあり得ないからです。(ヨハネ14の6、8の44)

しかし真に信じるならばその時 あなたは神によって新しい第2の人・
キリストの中に移されるのです。(コロサイ1の13、Ⅰコリント1の30)
それが現実となる時あなたはもうキリストとの一つの中にいるのですから
これらのキリストの中の永遠の真理は総てあなたのものとなり、
それをあなたは、この時空の中においても、とても自然に
自分の経験とすることが出来るのです。


以上が集会の為に私達が基本的にどうしても知らなければ
ならない霊的な知識です。それはまた前述した「神の2つの
ストーリー」をあなたがこの時空と言う舞台上で演じる為の
基礎知識であるとも言えるのです。


*補足説明*
1.ギリシャ語の「信じる」には「入り込む」と言う意味が
含まれているようです。つまり それは
信じれば、一つとされるということです。

2.まとめると「神と人の一つ」は
①キリストの受肉において準備され、
②キリストの十字架において、人の贖いの為の結合が完成し
③キリストの復活においては積極面の為に完成され、そして
④人が信じる時に以上の①から③の永遠の真理が時空に降りて来る、
即ち時空において立証される、と言えるのではないでしょうか。

①から③は全部 時空の中でなされたことではありますが、
それらは永遠の御子によって達成されたが故に
その性質は総て完全に永遠性のものです。

④は神が対サタンを意識して、敢えて「今サタンが不法に占拠している
時空と言う一時的な舞台」で演じられる所の
「①から③の真理」の証明、実証、再現、誇示と取ることが出来ると
思われます。今のこの時代、そのステージの上では 
時空とその中の様々な事象に比して復活における永遠がいかに
卓越しているかが万物に向かって表現されつつあるのです。

「今天にある支配達と権威達(敵)に対してエクレシアを通して神の
多種多様な知恵が示されるためです。」エペソ3の10


タイトルは基礎知識でしたが、案に相違でやや込み入った
内容になってしまいました。それにしても
神の真理の奥深さに 改めて驚嘆するばかりです。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

確かにイエスが私を信じなさいというとき「エイス」という言葉を使いbelieve into me
私の中に入り込めとでも訳せるような言い方をしていますね。

Mr.Sugar さんのコメント...

ギリシャ語の知識のない私にとって
とてもあり難いコメントを頂きました。

所で、ヤコブ2の19、20の
悪霊どもの「・・信じて」と
行いの無い「信仰」は
どうでしょうか。

前者の悪霊の場合、もしこれに「入り込む」
の意味が含まれるとすれば、
大変困るのです。
彼らは単に「神はただお一人だと」
知的に認識している、と言う意味であろう
と勝手に想像しているのですが・・。
彼らが神と一つになる
筈はあり得ないからです。

mopoopoo さんのコメント...

ヤコブ2:19の悪霊どもの「・・信じて」には入り込むという意味の「エイス」は使われていませんね。