2008年2月19日火曜日

コントラスト(2)

コントラストは当然
そこにあるA とB が接近していればいるほど効果的です。
さて神があるコントラストを示そうとする時は多くの場合 
A,B は極めて近い所にあるどころか 両者は一つです。

例えば、パウロは私達と同じように時空に閉じ込められた人です。
(閉じ込めこそ死の一つの機能です)そして更に 
彼の同労者達にさえ見捨てられ年老いたパウロは今再び 
牢獄と言う四角い壁の中に文字通り封鎖された「囚人」
(漢字は意味深長ですね)となったのです。
これこそ世に言う不幸そのものでなくて何でしょう。

しかし
彼はその不幸の只中で 自分はネロの囚人であるかも知れないが 
同時に「主の囚人」でもあると言う真理に気づいたのです。(2テモテ1の8)
その時パウロは「今自分が復活のキリストの中にいると言う真理」が 
「牢獄に閉じ込められていると言う現実」と比べるなら 
前者がはるかに優位な「永遠の真理」であることを改めて認識し
それを当然の事実として認めたのです。

このようなパウロの信仰を通して 神の永遠の真理が時空の中に降ろされ、
「閉じ込められと言う現実」を遥かに凌駕(りょうが)する
「時空からの超越という復活の現実」が パウロという一点において 
つぶさに観察されることとなったのです。
その結果、パウロを閉じ込めた皇帝ネロの側近達さえも この際立つ
明確なコントラストによって救われたのだと思われます。(ピリピ4の22)

パウロは多くの人々の病気を癒しました。しかし主はこの有力な働き人
当人の 常に彼を不快にしてやまない眼病や、そして最後まで忠実だった
同労者テモテの胃の病を敢えて癒すことはありませんでした。それも
ひとえに 神がこのコントラストを宇宙に展覧するためであったのです。

虚飾に覆われた古代ローマの喧騒も届かない、人が見向きすることさえない
暗い不潔な牢獄の片隅で 神の敵に対し誇示されたこのコントラストは
パウロの大いなる働きにさえ勝って貴重である と言うメッセージを 
今神は敢えて私達に伝えようとされているのではないでしょうか。
(この後パウロは程なくネロのキリスト者大量殺戮の中で殉教した。)

さて
黙示録にとても意外な事実が暗示されています(もしも私が間違って
いなければ。)それは 神の御座や神への賛美の場所が 
火の池を示すであろう「火の混じったガラスの海」と とても近い所に
存在しているということです。(4の6、15の2)

コントラストは多分神にとって 小さなテーマではないのでしょう。
或いは「正邪のコントラスト」はいつまでもそこにあり 総ての者が
それ(御座・勝利のキリスト者 対 ガラスの中の火 と言うコントラスト)を
永遠に目の当たりにし続けるのかも知れません。

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

慰めに満ちた真理の証に感謝します。私は絵を描きますので,色の関係を思いました。補色といって色相的に反対の色が隣りあうと,お互いの色を引き立て合う効果があり,その境界線もはっきりするのです。同じ色でも隣り合う色について見え方は大きく異なります。そして,さらに言えば,色自体の固有の色はなく,すべては光の当たり方で決まるわけです。たとえば,ある色の物体はそれ以外の色を吸収し,その色だけは反射するので,その色に見える。それ自体がその光を吸収しないのでその色に見えるというのも,また不思議な真理だと思うのです。お会いできるのがますます楽しみになってきました。

匿名 さんのコメント...

すいません。操作を誤って匿名になってしまいました。Saltです。

匿名 さんのコメント...

ますますMr.Sugarの本領発揮ですね。

Saltさんの色の関係も実に面白い。ある意味、物理的な存在は真理の影(型)であると感じています。

匿名 さんのコメント...

シュガーさんへ

お返事いただいてありがとうございました。
 
とてもうれしかったです。(*^_^*)

お昼休みに見つけました。

Mr.Sugar さんのコメント...

あ、こういう所が、つまり色んな
個性豊かなコメント
を意外な時に頂けるところが、
ブログの楽しみなのかなと、今晩改めて、
いや初めてかな、感じた次第です。

カリカリ雪の阿武隈の2月はまだ
とても寒いけれども
(朝はマイナス7、8度)
日差しの強さには驚かされます。

みなさーん、小屋にいらっしゃーい!