病を得た私達の大切な友・I さんへ今 あなたと共に心を寄せます。
今こそ I さんが 神の光の中で自分の真の姿を知り そして
彼が今 この時間と空間の中でこそ「永遠の主の経験」の中に
入って行く と言う高き主の願いの故に 神は今「容赦なく」私達の友を
取り扱っておられるのではなかろうか とそんな感じがしております。
きっとその過程にあるのでしょう。
今 I さんにある意味で
「その覚悟」があるのはよいことだ と思っております。
当然のことながら キリスト者にはいわゆる「最悪の事態」においてこそ
その信仰を機能させるべし と言うものが 私達のあらゆる祈り
願い、思い、企ての根底にあるべきだと思います。
(そういうことは起こり得ない とせずに)
これが基本の基本にあればこそ 初めて
主もその上にいろんな「良きこと」を 築いて行けるのでしょう。
「人の世のその最悪の事態」を逆手に取り 主が、その永遠の大きな御心
の中で その人とその人の周辺に また「全世界の為」にさえ
何をなさろうとされるのか その全貌と詳細を私達が見ることは
不可能ですしまた それは人の分ではありません。
しかしながら私達こそが
「そのような主を信じ信頼すること」が出来る筈です。
個人的に言えば、
この苦難の中、そして更なる困難の中、そして
総てが絶望と思わせられるような時間が彼に迫り来るその時でさえ
「主の歩まれたその歩みの全行程の一つ一つの原型に自分を置き
主と共にそこを通ること、この‘宇宙最高の尊い経験’を
彼が真に経験する中で その肉体にも主が癒しと言う
奇跡をなさって下さること」を 実は私は心から願っているのです。
しかし 仮にたとえそうでなくとも
主は彼に、そして私達に、そして全世界の為にさえ
最善をなさるであろうことは 疑う余地がありません。
今こそ 私達は 全幅の信頼と信仰をキリストに 寄せるべき
正にその時なのではなかろうかと 私はそのように信じているのです。
2 件のコメント:
ただ、ただ、アーメン!
有難う。
キリストを信じる、
何と簡単で
そこに総てを含むことか!
彼のためにも信じます。
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