『神が人に要求し、キリストがその要求を果たす』
という矛盾とも見える一大原則が聖書にはあるようだ。
しかしこの原則はたちまち誤解されてしまう。
神は人に過酷な要求をする、と人は思うのである。ところが
1.何と人はそれをどうにかして実行しようとする。そしてある人々は
私は実行できた、或いはもしかして将来実行出来るかもしれない
と思い込み人に教える。これが宗教でありキリスト教である。
2.他の人は はなからその要求を「ヒドイ要求」として背を向け退却する。
しかし正解は1,2のいずれでもなさそうである。
なぜなら実行するのはキリストなのだから。
事実 神は要求し「人イエス」キリストはその永遠の御業において
その要求を既に完成されたのだ。(だからあの一大原則に矛盾は無い)
ここにただ一つのこと、
キリストの「霊的永遠の完成を時空にもたらす」霊的機能が必要とされる。
これのみが人の分なのだ。そしてその機能とは信仰である、
「人イエスキリストと私との結合」への単純な信仰である。
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