2007年6月4日月曜日

キリスト VS 「正しさ」

 神が人に下さるものは あれでもなく これでもなく、唯 キリスト。
神が人に要求するものも あれでもなく これでもなく、唯 キリスト。
神が この基準を 譲歩することは 絶対にあり得ない。
 
 しかし人は 今現在の生けるキリストではなく 
様々な「正しいもの」を神や人に差し出そうとする。
 正しい生活、正しい教会生活 正しい教会観 正しい立場 
正しいキリスト観、正しい聖書観・・・
それらが 仮に 総て完全に正しく「聖書的」だとしても 
神の基準から見ると 総て不合格、
それらがもしも 今現在の生けるキリストでないならば。
かく言う 私の主張でさえ「これが 復活のキリストでなければ」
神が受け入れることはあり得ない。

 今日 キリストの十字架に耐えられないものは 将来の火のテストにも
耐えることはない。
 キリスト者の「正しさ」がキリストに取って代わるのは 
実に た易いのである。

 これが この度のヨーロッパ旅行で痛切に感じさせられたことでした。

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