2007年5月4日金曜日

   死について6

  一粒の麦 もし死なずば
  (ヨハネ12‐24~26) 

 ヨハネ12章の場合 種まく人がいるとすれば それは主であり、
種とはあなた自身であると言えるであろう。 
 そしてここに あなたと言う種の籾殻(もみがら)に 光、吸引力、
不思議、そして言葉なる キリストが命として内包されている、
と言う驚くべき事実がある。

 種蒔く人は この世で(25節)一日に何回でも、事ある毎に 
様々な人間生活の情況、場面にあなたを蒔いておられるのである!
その時 その状況場面を選ぶ権利はあなたには 殆どなさそうである。

 種蒔く人の手から落下した種は 当然のことながら 
その人の保護を離れ 必ず 土の中へと埋め込まれることになる。
言うまでもなく 蒔かれた種の向かう方向は 
私達が夢想する上昇ではなく下降である。種が 上に舞い上がり 
天国に行ってしまった等と言う話しは聞いた事がない。
一時は風に吹かれた タンポポの羽毛についた種でさえ 
いずれは地表に着地するのだ。
 これは 蒔かれた種というものの運命であるとしか言いようがない。

 更に あなたは その上 埋められた地下の 死の状況の只中に
入り込まなければならない。
そこにあるのは 死の 「水分と地熱と暗闇」である。そこでは 
あなたと言う麦の 籾殻が打ち破られ、破損し 遂には 
麦の命を閉じ込めると言う籾殻の機能が 失われてしまうまで 
死の作用は終わることはない。
 その時間の長短は 或いは あなたが死の状況をどう受け入れるかに 
かかっていることであろう。

 しかしここで 敵からのものであろう その死の状況でさえ 
見えざる神、真の農夫の偉大なる手の中にあること、
そして あなたの内におられる 命なるキリストご自身が 
正に今この時 あなたと共に あなたの死の内を経過して下さっている 
と言う事実を あなたは信じることが出来るのである。

 そして、遂にその死の作業が完了するやいなや 直ちに、種に 
驚くべき生命活動 復活現象が現れ始める。
即ち その同じ死の要素だったもの:水分と熱と暗闇が 今度は 
発芽現象と言う奇跡をあなたにもたらすのである。

 その後引き続き その種と主の御からだに いかに偉大な生命現象が
現出されて行くかについては 今ここで言うまでもない。

   *         *          *
ヨハネ12‐24の一粒の麦は明らかに主イエスキリストご自身
である。しかし、それに続く節で主は この一粒の麦の原則は
一人一人のキリスト者にも適用されなければならないことを
明言しておられる。 

0 件のコメント: