2011年6月5日日曜日

小さな言葉をくり返し「となえる」祈り2

従ってその「自治を守ること」はあなたがしなければ
なりませんし、それは完全にあなたの責任です。その限りに
おいては神は、あなたを助けることをしません!そこには常に
「あなたの意志」が存在していなければならないのです。

何故なら真の神は人の自由意志をとても重んじられるからです。
宇宙の歴史の中で「一度神はその原則、神の法を定められた」
のであり、従って神ご自身でさえそれを安易に破ることは
出来ません。法とはそのようなものではないでしょうか。

この事実を明示する絵は、創世記3章に大きくかかげられて
おります。そこにあるのは、神とヘビと人間の「独立した
3つの意志」です。(それゆえ神は、エバとヘビの間に
割って入ることは出来ませんでした。)


しかしながら、悪霊のやりかたは全く異なります。
ある集会の中などでヘビは「そのあなたの自由意志」をさえも
放棄させ、全くの受身状態にならせ、あなたを完全に無防備
(むぼうび)にし「あるものの上に自分をフワフワとただよわ
せる」ことが深い信仰であるかのように思わせたいのです。
そのようにして悪魔はむしろ「道を求める真剣なキリスト者」を
誘惑するでしょう。悪魔とは誘惑者という意味であり、
その際の有力なエサは、ある種の美や「心地よさ」です。

くりかえしますが、悪霊は、常に何とかして人に意志を
放棄(ほうき)させ、人の中に入り込みたいのです。
そのようにして最後には邪霊の意志のまま、機械かあやつり
人形のようにキリスト者を動かし、次に今度はキリスト者を
大いに苦しめ、そのあげく、出来れば自分の「ともづれ」に
することを切望しているのです。(彼は、破滅というさけ
得ない自分の運命を感じているからです。)

かように、人が自分の頭・思いをふりはらい、二、三の単語を
早口にくりかえすことによって受身状態になり、何かを呼び込む
ように「となえ続ける」時に、そこにある現象(げんしょう)が
発生せざるを得ません。
(何故ならその時人は結果的に、それとは知らず、悪霊が
取り付く条件を満たしてしまうからです。)

以上の事実を見るとき
①の原則から「聖霊が来る」などということは
絶対にあり得ません。
しかし、②の原則のゆえに、その人に、待ってましたとばかりに
飛来し・とどまり、時に「すばらしい恍惚(こうこつ)経験」を
人に与えるのは悪霊達以外にはありません。

対キリスト者であればこそ、
悪鬼、邪霊達はしばしば、美しい「光の天使」をよそおい、
聖霊のマネをし、キリスト者に一時(とき)大きな幸福感や奇跡
をさえ与えるのが、とても上手であることを私達は知るべきです。

付け加えますが
「私は聖霊体験をした、私は不思議を行う能力がある」などと
言って誇る人たちの私生活をよく見るならば、その霊がどういう
種類の霊であるかは容易にサッシがつくでしょう。

2 件のコメント:

鳩 さんのコメント...

アーメン。
確かに、そのとおりです。

私は俗に言う「聖霊派」の中でガンバっており、神秘体験などをしておりましたので、懐かしいな〜、と思いながら拝読させていただきました。

Mr.Sugar さんのコメント...

鳩兄弟、有難うございます。