2011年5月19日木曜日

コメントをいただきました

・・・
そう
①みこころ②十字架③万物への宣べ伝への中で。


アーメンです。
今日は、創世記34、35章を聞いていました。

「そうして私たちは立って、ベテルに上って行こう。
私はそこで、私の苦難の日に私に答え、
私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に
祭壇を築こう。」(創世記35:3)

ここに至るまでも、ヤコブは主の御心の内を
歩み続けられたわけではなく、
多くの問題行動がありました。
しかしそれでも
「私たちは真実でなくても、神はいつも真実」
ですから感謝です。

「いつも私とともにおられた神」
この神の故に私はホッと肩の荷が下ります。
事実「聖霊は私のような者の内に
住み続けてくれている」
のですから本当に感謝以外にありません。

イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりに
感謝し、また今日は、ブログのことばの内に
兄弟との交わりを頂いて感謝です。

これから老犬と
ノソノソと家の周りを散歩です。


この兄弟は、とても大きな心臓の手術のあと、
生活上、極めて制限された行動をよぎなくされて
おります、自宅でお仕事をなさりながら。

さて、十字架とは他でもない
人が「自発的に主からいただく」制限や不自由
のことです。

また神のみこころは他でもない
主が私に下さる十字架を
生活のささいと見える場面で、人知れずに黙って
受け入れることの中にあります。

しかしその「3日後」私達は確実に
「キリストにある真の自由」を
主と共に密(ひそ)かに楽しみ、そして
一人深い礼拝をするでしょう。(復活とは、
十字架の死を経過した後、神からいただく無制限です)

また大切なことは
本来十字架と復活は人々に隠されており、
世界がそれを見ることは不可能である、
という事実です。
それも大きな神のみこころです。

(それにしても多くの人々は十字架について
何とヒドイ誤解をしていることでしょう。
「十字架の実質」は決して目には見えないものなのに
十字架の外側のみを見て、それを迷信的に自分や他人に
適用しています。そのような思いと行為は間違いなく
「邪悪な霊達」によって用いられるでしょう)

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